日曜の朝8時、ジムに人影はない。
休日ののどかな静けさを窓の向こうに眺めながら65分走って15分マシンを使った。
動けば動くほど身体に力がみなぎっていく。
まだまだ動けるが出かける予定があったのでこの日はこれくらいにしておいた。
10時半過ぎ、近くの駅で家内をピックアップし、一路、八尾へとクルマを走らせた。
この日、年に一度のカタシモワイン祭りが行われる。
昨年同様、義父母伴い柏原太平寺のぶどう畑を訪れることにしていた。
家内の実家を経由し会場に到着したときには昼を回っていた。
すでに大賑わい。
昨年と比べ目に見えて人出が増している。
ぶどうの房が鈴なりなのは、ぶどう畑であるから当然。
それを見上げるように、シートに腰を下ろしてワインを飲む。
そんな光景が一面に広がっていた。
平和という概念を言葉使わず指し示すとすれば、笑って語らいワイングラスを傾け合う人々の姿ほどふさわしいものはないだろう。
柏原の山の緑と空の青を背景に陽射しふんだんに降り注ぎ、なるほどこの地で成るのであるから絶品。
そこに身を置いた一瞬で、ぶどうの美味しさを直感できた。
だから当然、ワインも美味しい。
風景とワインの味わいが一体となり、赤でも白でもその期待が裏切られることはなかった。
持ち込んだ寿司を食べ、上六ラチッカが出店していたのでそこで様々なあてを買い、赤に白にと何杯もお代わりすることになった。
空晴れ渡り、ぶどうの房を縫って射す陽の光は暖かくやわらかで、吹き渡る風も微かに香って、そこに座っているだけで気持ちが良かった。
家庭の出来不出来は、女房の良し悪しによってほぼ決まる。
話が盛り上がり義父母にそう断言する頃には、身も心も、そしてお腹も満ちていた。
柏原駅までぶらり歩いてタクシーで家内の実家に戻る。
時計は午後3時を指していた。
そしてここから二次会が始まった。
義母が料理をこさえるが、さすがに家内の母。
家内が料理の名人だとすれば、義母は達人といっていい域にあった。
義父がビールを注いでくれる。
義父母の家は実に居心地がいい。
お邪魔したときには例外なく最大限の歓待をしてくれる。
だからうちの息子たちも気に入って、いつだって義父母の家を訪ねたいとの思いで一杯であるが、いかんせん時間がない。
わたしにとっては今年正月以来、二回目の訪問であった。
二本目のビールを開けガーリックで香ばしい鶏軟骨を食べていると、義父に連絡がありあと5分ほどで家内の妹がこの家に到着するという。
まもなく午後3時半というところ。
そろそろおいとましようとわたしたちは席を立ち、並んで歩いて駅に向かった。
クルマは後日取りに行くことにした。
久宝寺で快速に乗り換え、家内と横並びに腰掛けた。
ワインが美味しく、義父母と語り合え、ほんとうにいい一日であった。
夫婦と義父母でこのように過ごせたことを心からありがたいとわたしは思った。
家に帰ると、まもなく二男が戻ってきた。
塾の帰り、梅田で一人『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきたという。
泣きはしなかったが、じんときた。
それが彼の感想だった。
もうこの上背。
もはや映画少年とは呼べず、映画青年と言うのが正しいだろう。
『ボヘミアン・ラプソディ』は彼の音楽観に一石投じる貴重な糧になったはずである。
夕飯は、神戸高見牛をたっぷり煮込んだビーフカレー。
もちろんわたしは十分に食べてきたので夕飯は取らず風呂に入ってすぐ横になった。
夜中11時頃だろうか、帰宅し食事も風呂も終えた長男がわたしのベッドに潜り込んできた。
彼もかなりのガタイ。
二男と同様、もはや小さな子熊ちゃんではなかった。
それでも息子であるから、そんなちょっとしたスキンシップが嫌ではない。
小さいにもほどがあるたわい無い出来事であるが、わたしにとっては心に残る大切な一場面であった。
だからこうして日記に残す。
家庭の出来は女房の良し悪しで決まる。
昼のぶどう畑で酔ってわたしは義父母にそう言った。
真夜中とも言える時間、横に寝そべる長男と会話しつつわたしはその言葉を思い出していた。