KORANIKATARU

子らに語る時々日記

歌って踊る特殊部隊

勤労感謝の日の午前、勤労して過ごした。

昼に仕事を終えて、ようやく自らを労う感謝の段階。

ジムで汗を流す。


この日走る際の伴奏はBTS。

マシンに流れる映像を見て心震えた。

言わば歌って踊る特殊部隊。

常軌逸する域のパフォーマンスに随所で唸らされた。


ワークアウト後、家内と待ち合わせて新快速に乗って八尾に向かう。

ワイン祭りの日以来、家内の実家にクルマが置きっ放しになっていた。


午後になって一段と気温が下がった。

寒風吹くなか、実家を目指しそこそこの距離を二人で歩く。


家内が家のなかで親と話している間、ちょうどそこに遊びに来ていたちびっ子がいて誘われるまま家の前で野球した。


まるで友だち同士であるみたいに大はしゃぎし投げて打った。

子どもと遊ぶときはかつての童心に帰る方がこちらも楽しく向こうも楽しい。


思いのほかちびっ子の運動能力が高くすばしっこくて、本気で汗をかくことになった。


実家で夕飯にお呼ばれしたようであったがそのままクルマで帰途についた。


曇天から薄暮へ。

阪神高速に入る頃にはヘッドライトが必要だった。


人はなぜ仲たがいするのだろう。

そんな話を助手席の家内とする。


ちょっとしたことの積み重ね。

相手に対する無思慮と無配慮が小さな亀裂を生み、高ずれば断絶に至る。

そこに軽蔑が加われば修復はもはや不可能だろう。


誰だってほんの少しでいいから大切に扱われたい。

そもそも、互い気を配る人間関係には軽蔑など生まれる余地がない。


高速を降りイカリスーパーで家内の買物に付き合い、家に戻って早速夕飯となった。


前菜は豆腐で作った白和え。

サラダは一風変わって、りんごにナッツにブルーチーズにミモレットにレーズン。

そこにプロシュートが混ざる。


飲み物は家内が作ってくれたミントたっぷりのモヒート。


そしてメインは実家でもらってきたばかりの福寿館の肉。


それを焼いてパクチーソースとまっちゃんの上海みやげの激辛ソースで食べ分けた。


漫然とつけていたテレビが音楽番組となり出だしで何かのグループが踊り始めた。

目をやってその素人芸に赤面するような気持ちになった。


このご時世、無理にテレビを観ることはない。

iPhoneをテレビに接続しBTSを観ることにした。


ミュージックビデオだけでなく海外で彼らが出演した番組など家内がガイドとなっていろいろと見せてくれる。


吉本新喜劇に出演しダンスを披露したことにも驚いたが、いちばん感銘受けたのは今年9月の国連総会でのスピーチだった。


Tシャツの件ははなはだ惜しいことであった。

そこにプリントされた絵は彼らの表現の本旨であるはずもないがあまりに無思慮無配慮であったことは否めない。


正論の風下に置かれた場合、問答無用で切捨て御免、そうなる風潮が強い昨今の日本である。

咎あれば無抵抗であっても寄ってたかって容赦ない蹴りが飛んでくる。


国連でのスピーチのなか印象深い言葉があった。

過去の数々の失敗も含めて、今の自分がある。

失敗も、人生というものを形作る星座のうちの一つの光を成している。


世界が舞台の彼らである。

今回の失敗から学び、より愛され、より凄みあるアーティストへと成長していくのだろう。

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十年一昔 京都にて