KORANIKATARU

子らに語る時々日記

能ある鷹は爪を隠す

手のキレイな人を見るとホッとする。

 

以前、ある事業所で女子スタッフに注意促す役を担ったことがあった。

ネイルが派手で見るに堪えない。

改善するようそれとなく言葉をかけてもらいたい。

そう事業主に頼まれた。

 

会ってどれどれと手先を見てその奇異奇天烈にたちまち気分が悪くなった。

 

いろいろな人がいて、いろいろな感じ方がある。

他の商売であれば映える場面もあるのかもしれないが、ごくごく常識的な日常空間にはそぐわない。

その指先を見る他者の目線になって考え、無用な自己主張はなるべく控え目にした方がいい。

 

オブラートに包むようにそう話す一方で、キラキラ女子の世界にあっては美しく可愛いと捉えられるのかもしれないその手先に幼稚なファンタジーが透けて見え、常識への感度の差が途方もないものに思え暗然となった。

 

それに第一、不潔だろう。

 

生物の授業で井上先生は事あるごとに言った。

放っておけば、手は果てしなく汚れる。

だから外から戻れば手洗いは必須。

 

井上先生は石鹸とブラシを使って毎回丁寧に洗うということだった。

わたしにとって大阪星光で習ったことのうち、最も記憶に残っていまも根付いている教えの一つである。

 

出先から戻れば必ずわたしも手を洗う。

洗わないと手に雑菌が蠢いているように思えて落ち着かない。

 

だから、その手の先に何層にも及ぶ被せ物や幾重にも渡る塗り物があるなど、禍々しい。

その色鮮やかな紋様が雑菌で形作られたオブジェであるとしか見えず目を背けたくなる。

 

構造的に入り組んで洗って落とせるものでなく、ますます沈潜し沈着し堆積しているはずであり想像するだに恐ろしく、電車の吊り革、便所の取っ手に匹敵する雑菌の巣窟と言えるのではないだろうか。

 

もしその手でおにぎりなど握っているのだとしたら、まさに戦慄し噴飯。

足裏で握るおむすびの方がまだましだといった話になりかねない。

 

だからどこであれ、ふと目に触れ、手のきれいな人がいると心落ち着く。

手に日常が垣間見え、その指先に知性と心根がほの見える。

 

今週12月8日、大阪星光都市環境部会主催の婚活パーティーが執り行われる。

 

母体が男子校であるのに男子の参加者集めは簡単ではないと聞く。

世にある婚活事業の大半がより顕著にそのような傾向であるだろうから、一般的には、ない商品を売るような際どい事業と言えなくもない。

 

大阪星光の婚活パーティーは端緒に着いたばかり。

今後一定数の男子を安定的に集めることができるようになるはずだ。

なにしろ母体が男子校。

いずれ成果多々生まれる、同窓会定番のボランティア活動と位置づけられることだろう。

 

同じ日、やすもと内科クリニックの忘年会があるためわたしは参加できないが、伝言として着眼点を挙げるなら、手であろう。

引き続いては、その向こう、母親の手もまた参照に値するかもしれない。

 

そんな話を家内としつつ、赤ワインを飲む。

トマトに生ハムをのせて食べるが、ビッグビーンズで買ったトマトが美味しくてたまらない。

サラダにはリンゴとレーズンとナッツとブルーチーズが入り、ブランジュリー・グウのバゲッドがアボガドやミモレットにとてもよく合う。

クラムチャウダーにはホタテとアサリの他、野菜がたっぷり入って、まるで飲むサラダとも言えた。

 

食後に家内が紅茶をいれてそれを飲んでいると、インターホンが鳴った。

わたしが玄関先まで降りて荷物を受け取った。

 

差出人はドクター・オクトパス。

なかを開けると福寿館の黒毛和牛であった。

 

わたしたちは、ひれ伏した。

家内は笑顔満面、肉を拝んで手を合わせ一礼してから、冷蔵庫に収めた。

 

いま冷蔵庫では、堀川亭の黒毛和牛の隣に福寿館の黒毛和牛が仲良く並んで鎮座している。

それらが子らのカラダを作る。

彼らの一部成す資材を提供してくれた足長おじさんが誰であるのか、子らには重々語って聞かせなければならない。

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2018年12月4日の夜食と今週前半の弁当