家内が友人夫婦をうちに招き歓待するというので邪魔にならぬようわたしは事務所に出た。
1月4日金曜は平日であるはずだがまだ電車はがら空きで閉まっている店も目立ち依然として世間は正月休みの真っ最中であるようだった。
実際、事務所にはわたし一人しかおらず電話は鳴らず、上階の会社も下階の店もまだ始動していなかった。
だから自然とわたしも休日気分となった。
近所の神社に出かけて手を合わせ、前日の地元神社へのお詣りと併せ初詣をまずは完了させた。
そしてすることもないのでそこらを散歩して過ごした。
空は澄み渡り正月ならではの日本晴れと言えた。
天気がいいので歩くだけで気持ちがよかった。
しかしわたしの行動範囲は限られている。
白紙の時間を前にまったくの自由であるはずなのに、カゴの中にいるも同然であった。
決まった店で牛丼を食べこれまた決まった店でラーメンを食べ、その罪滅ぼしのためジムでぼちぼち走ってからスパでひととき過ごし、蔦屋に寄って本屋をのぞく。
それでもう夕方。
呆気なく一日が過ぎ去った。
手つかずだった時間を結局は普段と同じ手つきで扱って、おしまい。
習慣という鎖に繋がれている自身の本質を思い知ることになった。
午後7時、スパークリングを買って帰宅する。
夕飯はメキシカン。
家内がタコスを作ってくれる。
翌日の予定が決まっていく。
行き先は淡路島、昼は寿司で夜は大阪でお好み焼き。
お好み焼きが浮上したのは先日のケンミンショーで大阪と広島のお好み焼きが特集されていてその残像がまだ家内の目に焼きついたままだったからだろう。
自分一人だとこんな予定は生まれない。
習慣という牢獄から出る上で他者の存在は欠かせず、つまりわたしは家内といてこそ自由である、ということができそうだ。
白紙の時間が普段と異なる色で染めあげられる。
カゴの中にいるよりはるかに楽しいことである。