この日も全力を出し切った。
クタクタではあるが草臥れ具合が心地いい。
帰途の電車に乗って出し抜けに思う。
自分が二人いたらどれだけ仕事が捗ることだろう。
その想像が楽しいイメージを数珠つなぎでもたらすので吊り革につかまりつつ空想に耽った。
漫然と車窓に目をやる人、スマホに目を落とす人、ゲームに夢中で小刻みに指を動かし続ける人、様々な人で混み合う車内、わたしの頭のなかは二人のわたしに占められた。
一人が西へ向かい、もう一人が東に向かう。
どちらもまあ手堅く業務をこなす。
二人揃えば、右サイドと左サイドといった風に役割を分け合って百人力。
互いの相乗効果で、品質あがってかつ生産性もいや増しだろう。
ああ、こんな男がもうひとりいればと夢想はやまぬが、ふと目をやった車窓に映るわたしはひとり。
わたしの背に乗るあれやこれやを、別のわたしがしょってくれる訳はないのだった。
しかし、もうひとりいればと思うくらいであるから、わたし自身も捨てたものではない。
もし自身を卑下しているのであれば、その分身の登場により卑下の自乗で輪をかけ無残で目も当てられない。
二人のわたしが円満に一人に戻る形で自己満足に至り、電車を降りる頃にはどんと来いと腹が座った。
家に帰るとすでに夕飯の用意が整っていた。
前日が白だったので、この日は赤ワインを持ち帰った。
前菜はフルーツトマト。
カマルグの塩で甘み膨らみワインの香りが引き立てられる。
メインはチンゲンサイと豚肉の炒めもの。
その昔、わたしはチンゲンサイなどに見向きもしなかった。
これを美味しいと思えるようになったのは家内のおかげである。
家内にかかれば無味な野菜が豊穣な味わいを醸す。
だからうちの息子らは野菜が大好物であり、野菜嫌いがこの世に存在するなど信じ難いという話になる。
箸休めに鶏肉とごぼうの煮物。
そして締めが鶏肉スープであったが、これがまた見事な出来栄えであった。
よく煮込まれて肉がふんわりとろけ、野菜全体に旨味が行き渡ってスープが臓腑に染みた。
明日は一日キッチンにこもって長男のために料理をこしらえクール宅急便で送るのだという。
おそらくあれもこれもとなって品数膨れ上がり、大量美味な料理のオールスターが箱いっぱいに詰め込まれ、長男のもと駆けつけることになるのだろう。