KORANIKATARU

子らに語る時々日記

昔はこんな親父がたくさんいたのかもしれない

フランスに降り立った時点で主人公ははねつけられた。

求めているフォワードは140kg級。

主人公はどうみても120kg。


買い手側からすれば誤った品が送られてきたようなものであり、主人公からすれば売り手側に騙され押し売りの品にされたようなものであった。


仏領ニューカレドニアからはるばる海を越えてやってきたばかりなのに、最初にぶつけられた言葉がさっさと帰れであるから年若い主人公は面食らい直後は路頭に迷う。


しかし彼に退路はなかった。


フランスでプロのラグビー選手になる。

父の強硬な反対を押し切ってのこの選択は父との絶縁を意味していた。

のこのこ帰ればそれ見たことかと父に何をされるかわからない。


気弱な若者ならここで絶望し自暴自棄になってしまうのだろうが主人公はなんとか持ちこたえ伝手を頼った。


当初夢みたチームからは程遠い三流弱小チームが彼を拾ってくれる。

といっても、逆境に置かれた状況であることは変わらない。


そこを耐え抜き、頭角を現すまでに至ることができたのは、退路を断たれていたからの一語に尽きるだろう。


もし故郷の父が優しく物分かりのいい人物だったら、主人公は早くにケツをまくって挫折に甘んじていたに違いない。


いっぱしのプロ選手としての契約を終え、主人公は父と和解するため故郷に帰る。


息子が現れるシーン。

砂浜の向こう、陽の光を受け海が眩しい。

その輝きに包まれて息子がこっちに歩いてくる。


父の強面に情が差し、父親としての表情が一瞬浮かぶが、すぐにまた厳しく猛々しい父の顔に戻る。


息子はひざまずき和解を求め父に許しを乞う。

しかし父は許すどころか息子に銃口を向けた。


和解などあり得ない話だった。

そしてこの時点で、体力から胆力すべてにおいて息子が父を凌駕していた。


フランスに渡って以降、あらゆる難題と格闘し潜り抜け、もはや息子は「ただのガキ」ではなかった。


結局、主人公は父と袂を分かち弟を連れ家を後にし、二人の息子に去られた父は銃口を自らに向け引き金をひいた。


父の胸に畳み込まれた思いは複雑で奥深い。

優しい顔ひとつ見せなかったが、父親として息子を愛していたことは確かなことだろう。


しかし家長としての役割の方が重く大きく、この地で息子に家督を継がせるという責務を担い、それが父にとっては最も重要なことだった。


かつて父自身もラグビーを志し挫折した。

だからなおさら、息子に甘い夢を見させる訳にはいかず、身の程という現実を教え込まねばならかった。


息子からすれば因習としか見えない狭量な考え方であるから、最後の最後まで父の思いに理解及ぶことはなかっただろう。


が、父の最期に接してはじめて、息子は父の胸中を察することができたはずである。


父は息子との決別によって世界を失った。

もはや役割も思い残すことも何もない。


父は死を選び、地の因習と自らを苛む挫折から解放され、その父の死によって息子は自由を得た。

息子にはもう自分を縛るものが何もない。


退路のない自由を行くことになるが、息子はいまや力強く逞しい。

父は自身を蔑み憎み、一方で実は息子のことを愛していた、だからこの結末は父にとって本望だったと言っていいのだろう。

 

ラストシーンはハカ。

父を哀悼する気持ちが強く伝わってきて震えた。


映画を観終えてすぐ、Netflixの『傭兵のハカ』再生ページを長男と二男にメールで送った。

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2019年4月26,27日 昼の弁当