KORANIKATARU

子らに語る時々日記

夜、突如インターホンが鳴った

明け方、二男から写メが届いた。

和室六畳間。

高二の男七人が所狭しと並んで雑魚寝している。

うちにもよく遊びに来る皆お馴染みの顔ぶれである。


一人で一日八時間勉強する三日間より、たとえ勉強しなくとも八人で過ごす三日間の方が濃厚に充実する。


写真が微笑ましくてわたしはそう思った。


家内を起こさぬよう支度して出かけようとしたとき、呼び止められた。

結局弁当が出来上がるまで足止めを食らうことになった。


悪いね、と家内に言い弁当を持ってわたしは事務所に向かった。


何日も職場を空けておくとすべて仕事は焼け野原となっていく。

たまにはデスクに座り状況を俯瞰することが不可欠だ。


郵便物をチェックし、タスクノートを眺めつつ死角はないか点検し、そして長男に届ける書類を発送した。


四月に続き長男あてのレターパックに本を二冊同封した。

ひとつは木暮太一さんの『超入門資本論』。


モノの値段が投入されたコストで決まるのと同様、勤め人の給料は必要経費がベースになって決まる。

 

つまり、給料というのは達成した成果に対し支払われのではなく、その労務を明日も同様に提供するため必要となる最低限の経費として支払われる。


必要経費に応じて給料の多寡はあっても本質的には必要な経費でしかないので、年収1000万であろうが年収300万円であろうが、どの段階であっても暮らしはカツカツになる。


カツカツから脱するには精神的な部分も含めた必要経費を縮減し「自己内利益」を高める必要があり、得る報酬を高めるには長く時間をかけてみずからの「価値」をまずはあげ、提供するものの「使用価値」が陳腐に堕さぬよう需要に合致させ続けねばならない。


賃金決定の原理が簡明に述べられていて非常に有用。

自身が働く者となるはるか前から知っておくべき内容と言えるだろう。


もうひとつは酒井穣さんの『自己啓発をやめて哲学をしよう』。


決定的に大事なことは「内」にはなく「外」にある。

人ひとりにできることは限られ、要は運や偶然や外部の力によって左右される。


だから人は謙虚でなければならず、自分の「内」や誰かの「内」に何かを求めるのではなく「外」にこそ目を向けねばならない。


日本はますます衰退し大半の日本人が社会的弱者になることを免れない。

そんな時代にあって真に指針となるのは何なのか。

筆者の明快な思考と良心が導く結論に共感を覚えるのでこれもまた息子に読んでおいてもらいたい。

 

今回選んだ二冊ともたまたま著者は慶應出身。

塾生として読まずに捨て置く訳にはいかないだろう。


咳も治まりようやく復調したのでジムで一汗かいてその一汗を風呂で流してさっぱりし、日本酒を二本抱えて約一カ月ぶりに実家へと足を向けた。

大型連休のうち一日くらい顔を出さないとバチが当たる。


果たしていつもと同様、両親はわたしの到着をいまや遅しと待ち構えていて、父は自ら買ってきた寿司を皿に移し変え、母はステーキを焼いていた。


孫らの近況を伝え父の昔話に耳を傾け、日本酒が一本空いたところで実家を後にした。


家に帰って今度は家内の二万語の聞き手となる。


家内はこの日天満橋に出かけ全身マッサやらヘッドスパを受け、カラダをメンテナンスしてきたという。


施術者についての話が面白く、二万語も佳境というところ、インターホンが鳴った。


左右どちらかのお隣さんだろう。

そう思っていると対応に出た家内が戸惑っているのが分かった。


すぐに駆け寄りインターホンを見てみると見知らぬ女性だった。

漆黒の闇のなか40代と思しき面識のない女性がうちの玄関先に立ちインターホンを凝視している。


なんの御用でしょうか。

家内が問うとインターホンに真っ直ぐ顔を向けたまま女性が言った。


このお家とてもいい家ですね。

私、こんな家に住みたかったんです。

でも住めませんでした。


家内は呆気に取られて何も言えない。


どういう意味でしょうか?

わたしが言葉を返すと女性は押し黙った。

無言のまま何か考える素ぶりを見せそして自転車に乗って立ち去った。


気味が悪い。

警察を呼ぼうと家内は不安がったが、こんな時間に騒ぐことではないから明日足を運んで事情話せばいいと諭し、念のため画像データを保存し写真にも撮った。


その後、エンタの神様をみて過ごす。

しかし、二人の思考はさっきの女性に結ばれたまま停止し薄気味悪さだけが募った。

f:id:KORANIKATARUTOKIDOKI:20190504042432j:plain

2019年5月1日 昼 スシロー尼崎大庄店