遅くなったので駅前で食べて帰ることにした。
店に入ると無人。
カウンターの端から端まで空席で店主はぼんやり暇に憩っていた。
わたしの姿をみて店主は嫌な顔を浮かべたように見えた。
炭をセットし火を起こし始めるがそれも億劫そうに見えた。
野暮な闖入者になったみたいな気詰まりを覚え、短気な人間なら即座店に背を向けるのだろうが、負けてはなるまいとわたしは自らを鼓舞し、朗々と声をあげビールと焼き鳥を数種注文した。
炭火の真ん前にわたしは座って、これで客と店主は至近距離。
店主は無言で串を焼き裏返しまた裏返し、わたしはスマホにじっと目を注いだ。
忍び足でやってきたみたいにいつのまにか瓶ビールとコップが前に置かれ、これまた言葉もなく焼き鳥が差し出されるので、スマホに視線を向けたままだと気づかない。
「どうぞ」の一言もないから、ぶっきらぼうに感じるし、店主は相変わらず仏頂面である。
客は自身を厄介者だとしか思えないから、知らず知らず身がこわばることになる。
しかし、間近な距離で対峙し続けていたからだろう。
何種か頼んだ後の焼き鳥には、小さな小さな「はいよ」という店主の声が添えられた。
普通の店で耳にするような威勢のいい声ではなく、消え入るような声ではあるが、その「はいよ」が証拠。
だんだん客との間合いに慣れ、店主はいちにのさんと思い定めて「接客」しようと意志したに違いなかった。
つまり店主は単に照れ屋なだけであって、決して客に対し悪意がある訳ではないのだった。
そうと分かって肩の力が抜け、引き続く「はいよ」の声でわたしはやっと焼き鳥の味を噛みしめることができた。
気づいてみれば、何もかもが美味しい。
悪い奴にこんな美味しい焼き鳥が焼けるはずがなく、やはり店主は職人によくあるタイプのシャイな男であって素性は善良であるに違いなかった。
ふと思い出す。
大阪星光の名簿に一切何の情報もない後輩がいて、その後輩の同期らと話す機会が先日あったので彼はどうしているのかと聞いてみた。
同期の連中はしばらく考え、記憶にないと口々に言った。
名簿に記された氏名以外に一切痕跡がなく、同期の記憶にもないというから寂しい話だ。
わたし自身、その後輩と面識がある訳ではなかった。
知人を通じ大阪星光に入ったと耳にしただけの後輩であり、その後、情報が立ち消えてどこからも聞こえてこないので、なんとなく気にかかっていただけのことであった。
それで同期の者らに聞いてみた訳であったが、同期の間においても非存在となれば、少なからず暗澹としたような気持ちになるのは避けられない。
いつかどこかで「はいよ」といった感じで何か明るい情報が聞こえてくるのかもしれないが、どんな学校であれ百人が百人とも幸せに過ごせるものではなく、なかにはそこで過ごした時間の端から端までを無にし息を潜める者もあるのだと、物事の陰陽についてぐい呑み片手に沈思することになった。