KORANIKATARU

子らに語る時々日記

生徒の心に光を灯す

日曜の朝7時。

リビングでコーヒーだけを飲み、急用があったのでクルマで出かけた。

 

用事を済ませると昼。

帰途、風月桃谷店の近くを通りかかったのでおみやげとして風月焼三枚をテイクアウトした。

 

高速に乗るため勝山通りから谷町筋を右折しようとするところで信号待ち。

時刻は12時15分。

左手には大阪星光学院。

 

前を右から左へと渡る長身はひと目みて48期の榎村先生。

相変わらず背が高い。

 

榎村先生が日曜に出勤していても驚きはない。

 

毎朝7時には学校に来て生徒の指導にあたる。

宿題を家でやってこないような生徒が大阪星光にもいて、朝、そんな子の面倒を見る。

 

受け持ちの生徒であろうがなかろうが朝7時と約束し、早朝指導を続け、生徒がさぼっても榎村先生はさぼらない。

 

それだけでなく物理オリンピックの指導にも熱心で、今年メダルをとれば大阪星光は第44回デンマーク大会から7年連続でのメダル獲得となる。

常連として連続出場を果たすだけでもたいへんなのにメダルにつながる後方支援を継続しているのだから、たいしたものだ。

 

このように大阪星光には大阪星光出身の、先輩でありかつ頼りになる兄貴といった存在の若い先生が群居し、「愛なくして信頼なく、信頼なくして教育はない」とのドン・ボスコの言葉を地で行くそれら若い教師らによって、「アッシツテンツァ(共にいること)」という理念が実現されている。

 

もちろん、熱血教師がいるからといって大阪星光は進学実績一辺倒といった学校ではない。

それどころか、それがいちばん大事なことではないと教え諭すような伝統を有する学校と言えるだろう。

 

そもそもの目的は、世のため人のため貢献することのできる「よき社会人」を育てること。

そのために学校が存在し、生徒が将来の夢や希望を実現できるよう、生徒が神さまから授かった能力を伸ばしそれを他者のために活かすことができるよう後押しするのが教師の役割であり、あくまで進学指導はその支援のためと位置づけられる。

 

だから、学校が東大東大と連呼することはないし医学部医学部と誘導することも全くない。

それどころか生徒一人一人に向き合って、単純で底の浅い進路希望については再考を促す助言を施すような学校と言えるだろう。

 

だから居場所としての大阪星光は厳しくもあり温かく、根底に愛があるから、後々まで居心地がいいということになる。

 

卒業して30年。

同期の33期だけでなく星光愛にあふれた諸先輩や後輩連中と親睦深め、それに加え、実際に息子が通って鉄の結束とも言える友情を培い、部活の先輩に可愛がられといった話に触れるにつけ、あるべき学校の姿をそこに見るような思いとなる。

 

大阪なにわの地にあって気品といったものが育つ土壌は極めてまれで、まさにこれこそマジック、神さまの奇蹟と言うしかない。

 

信号待ちする背の高い後ろ姿を見送って、わたしは谷町線を右に曲がって北上し高速の入口を目指した。