仕事で遅くなった。
食事をどこかで済ませて帰ろうと思案しつつ、夕飯はいらない旨、家内にメールした。
即座、家で食べるようにと返信がきた。
遅くに支度させるのが申し訳ないとわたしは思っていた。
が、せっかく準備したのにそれをスルーされる方が申し訳ないことだと家内に教え諭された。
まっすぐ家に帰って風呂を済ませて食卓についた。
前菜はアジの南蛮漬け。
疲れたカラダには酢がてきめん。
魚も新鮮だからだろう。
とても美味しい。
続いて巨大サラダが続き、メインは豚の生姜焼き。
そこら料理屋で食べるよりはるかに美味しいし、カラダにもいい。
そして最後に、もう少し食べたいというわたしのニーズを満たす一品。
京都のぎぼしで買ったあられが一皿出て、これがまたハイボールに合って美味しいのだった。
おいしい、おいしいと夕飯を食べつつ家内にその日のエピソードを話す。
月日の流れは早く、誰もがあっという間に歳を取る、そんな話題で男衆どうし互いをいたわりあった一場面、わたしは言った。
しかし、うちの女房だけは歳を取らない。
実際、同年代を見渡したとき、うちの女房は結構若く見えるように思う。
それで真っ正直にそんな言葉を挟んだのであったが、うちもそうなんだよといった風に話の後を継ぐ者はなく、話はそこで途切れてしまった。
アホちゃうかと言う家内の言葉を聞きつつハイボールをおかわりし、先日のことを思い出す。
海の日に京都を訪れた際、わたしはそこらにあったTシャツと短パンという出で立ちだった。
断捨離したばかりで、記念に取り分けたTシャツしかなくそこにはWASEDAとのロゴが入って、普通こういった類のものを日常着るのは気恥ずかしいがわたしは頓着しない。
これがもしKEIOのTシャツだったら、お門違いであるから虚偽感が先に立って着用は躊躇われたかもしれないが、実際早稲田なのだからたまにTシャツを着て思い出にふけるのも悪くない。
しかし、そんな色あせたTシャツでうろうろするなど、場所が京都の懐石やデパートのちょっとしたお店になると気後れ感じるのが正常で、わたしにも正常なセンサーが残っているから、案の定、気後れた。
が、わたしの傍らには家内。
それで気を取り直した。
身なりが整ってシュッとしている家内と合算すれば、わたしもこましな部類にかさ上げされて見られるはずである。
そう気がつくと忍び寄る気後れは雲散霧消し、平常心を保つことができた。
このように毎日の食事だけでなく、いろいろな場面でわたしは家内の恩恵に与っているのだった。
そんなことを考えつつ、一緒にハイボールを飲みながら家内が新しく取り組もうとする課題について話を聞き、それは素晴らしいと諸手をあげてわたしは賛成の票を投じた。