保護者会を終えた家内と難波で待ち合わせた。
夕刻、高島屋前には黒山の人だかり。
亀石倫子さんが熱弁を奮っていて、わたしも足を止め聞き入った。
弱い者いじめはもうやめよう選挙。
今回の参院選はわたしにはそう映る。
令和になって、物言わぬ者らに声が与えられた。
そのきっかけをつくったのが山本太郎。
この日の昼、彼が各地で行った選挙演説をマシンの画像で見ながら走ってわたしはそう思った。
不当なことを不当とここまで大真面目に声を上げた者はこれまでなかった。
亀石さんの言葉にも山本太郎の魂が乗り移っているかのように感じられた。
声が声を呼び時代が動き出す。
そんなうねりが眼前にあった。
いつもは維新に入れるが今回は比例で山本太郎、選挙区では立憲民主の安田真理さんに投票するとわたしは決めた。
家内と合流し、食べたいものについて聞くがなんでもいいという。
ちょうど治兵衛からハモ料理のキャンペーンメールが届いていて、水を向けると家内もハモに異存はなかった。
家内と向き合いビールで乾杯。
その二万語に耳傾ける時間が始まった。
保護者会の後、部活ママらと昼食をともにしたという。
その場ではじめて家内は二男が国体の大阪代表メンバーに選ばれたと知った。
試合は8月下旬で初戦の相手は京都府代表。
なんとめでたい。
親としてこんな嬉しいことはない。
代表と言えば、長男もしばしば兵庫の代表候補に選ばれた。
入った中学にラグビー部がなく、地元のラグビースクールチームに属しちょくちょく練習に参加する程度のサンデー・ラガーマンであったが、筋は良かったのだろう。
試合に出るとチームは負けるが必ず活躍し、セレクションのメンバーに毎回選ばれた。
その度いつも小学生時代のコーチの言葉を思い出した。
中学受験の勉強に専念するのでラグビーをやめる。
そうコーチに申し出たのは長男が小6のときだった。
そのときコーチがこう言った。
彼はラグビーの強い学校に行かせてあげてください。
勉強なんかするより、ラグビーさせてください。
セレクションのメンバーに選ばれて当初は意欲満面、その練習に参加しようとする長男であったが、練習場が加古川つまり兵庫の西の端であり西大和の授業を縫って土日に通うことは難しく、何度か試みるも完遂までには至らず結局辞退するより他なかった。
しかしそれでも、兵庫代表の候補に選ばれるだけでも名誉なことで、その度夫婦で喜んでいた。
そして今回は二男。
嬉しさ募り来たるという感じである。
だからいつにも増して子らの話だけに終始する夕飯となった。
電車で並んで座って帰りつつ、遠い昔の一シーンをふとわたしは思い出した。
長男が生まれたばかりの頃。
近くを通りかかったので、家内を連れひとりで暮らす祖母の家を訪ねたことがあった。
しかし、祖母は留守。
あきらめて帰ろうとするわたしを制して家内が言った。
公園にいるのかも。
で公園に行くと、そこに祖母がいたので驚いた。
なぜ公園にいると思ったのか、後で家内に聞いても全く思い当たることがないというから、一種の霊感のようなものとしか言いようがなかった。
祖母は公園のベンチに腰掛けそこらの人をつかまえて話し込んでいた。
わたしたちに気づいて祖母も驚き、ほらほらといった感じで指さして、そこらの人の視線をわたしたちに向けた。
ほら、さっきの話は本当で、これがその孫で、これがその嫁で、これがそのひ孫、といった風に得意げな感じの祖母であったので、今までわたしたちの話をしていたに違いなかった。
この日記も同じようなものかもしれない。
ほらほら、これが長男で、これが二男で、これが女房。
間違いなくわたしにはその祖母の血が流れている。