夜、携帯が鳴った。
長男からだった。
お盆休みの予定について彼が話す。
帰省はするが夏は予定が立て込み旅行には同行できない、他の時期ならいつでも行ける、別の機会にしよう。
そんな話に続いて、最近仲良くなったという慶應の友人の話になった。
気前よく飯をおごってくれるというので素性を聞いて驚いた。
御曹司である。
そこらの御曹司ではなく、日本の基幹産業にあたる筋の御曹司であるから、わたしたちが普通に思い描く大金持ちの百倍そして更にその百倍の富裕層と言っていいだろう。
百倍の百倍ということは一万倍で、十億持っている人を金持ちとすればその一万倍で十兆円ということか。
法学部在籍の長男がそう理系的に聞いてくるので、百倍の百倍というのはもののたとえだと理工学部出身の父は文系的に返した。
その他、勉強にバイトに部活、それに加え9月に行われる西大和後輩の学祭の話にまで至るから真横にいれば外に誘って飯でも食いながら、となるくらいに話題が尽きない。
今度まとめて話を聞くからといって電話を切ったが、東京で会うのがますます楽しみになってきた。
飯屋の予約は済んでいて、温泉付きのホテルで親子水入らず過ごすことになる。
そしてこの4ヶ月ぶりの再会を最も楽しみにしているのは家内だろう。
女親が息子を思う気持ちは、男親の百倍の百倍。
この日、韓国映画『パンドラ』を観て、その感を強くした。
後半40分、男なのにわたしは泣きっぱなしになった。
息子を持つ母なら声をあげての大号泣が避けられないはずだ。
カラダに宿してお腹を痛め乳をあげ泣いては背におぶってあやし、あれこれ手をかけ育て上げたのであるから、その愛は海より深く山より高く、だからときには実に切ないということになる。
離れて暮らすが、しばしば会える。
ずっと一緒にいるよりはるかに強くその存在を身近に感じるのだから不思議なものである。