台風10号が接近し、14日の松山発伊丹行きの飛行機に影響及ぶ可能性が濃厚になった。
当初予測では逃げ切り可と見込んでいたが楽観している場合ではなかった。
それで高速バスをあたった。
しかし大阪行きは全て満席。
神戸行きの朝6時と8時に僅か空席を残すのみであった。
危機管理として当然にわたしは三宮行きの8時のバスを予約した。
4時間かかるがそれも楽しそうと家内は喜んだ。
万一飛行機が飛ばなくてもバスで帰ることができる。
あとはこの最終日を満喫するだけ。
わたしたちは温泉を堪能してから街に出た。
松山大街道の三越は中に名店ひしめくが人はまばらで絵に描いたような穴場だった。
そこで買い物し土産に田中蒲鉾でじゃこ天はじめ各種海鮮ものをあれもこれもと選んだ。
酒の肴にもってこいであるし息子のおやつにも格好だった。
松山最終日の夜は「瀬戸内海鮮市場はしまや」を予約してあった。
食べログを見ると松山の一位が「みよし」で二位が「海の幸鯛や」、そして第三位として名の挙がるのが「瀬戸内海鮮市場はしまや」だった。
わたしには「みよし」が大阪や神戸にも類似店があるような店に思え、今回は「海の幸鯛や」と「瀬戸内海鮮市場はしまや」を訪れることに決め予約していた。
ネットで検索すると「瀬戸内海鮮市場はしまや」は二年前に集団食中毒を引き起こした店だとの記載があったが、今は大丈夫なのだろうと深く気に留めなかった。
松山での初日夕飯は「海の幸鯛や」。
この選択は大正解だった。
何もかも美味しく店の接客、雰囲気も申し分なかった。
が、この夜に選んだ「瀬戸内海鮮市場はしまや」は大はずれだった。
人をもっとも疲弊させるのは、音。
店に入ってすぐ家内が苦しいような顔をしたのも当然だった。
酔い客の無礼講ぶりは大阪のどんな下町の飲み屋にも増して下品であり常軌を逸していた。
どうやら常連客のようでありこれがこの店の常態であるようだった。
例えれば、毛むくじゃらの男衆が汗まみれ腰振ってカラダ擦り付け合いじゃれ合って酒をラッパ飲みしてはあれやこれやを垂れ流して咆哮している、といったような世界であった。
奇声と狂笑が鼓膜つんざくように響き渡るのみであるから、たちまち嘔吐しお腹くだしてしまうような極度の不快を覚えるのも無理なからぬ話であった。
男のわたしでも怖気と嫌悪を覚えたのであるから女性を伴えるような店であるはずがなかった。
松山の旅は素晴らしいものだった。
それを最後に汚されるのは耐え難く家内を目で促した。
家内にも迷いはなくすぐ腰を上げた。
着席して15分ほどでわたしたちは店を後にした。
コース料理の序盤でありほとんどに箸をつけてなかったが請求されたまま支払った。
お金など惜しくない。
平穏な空間に戻ることの方がはるかに大事だった。
飲み直そう。
そう家内と話しコンビニでお酒を買った。
お盆で飲食店街は混み合い情報もなく未知の二軒目に行って嫌な気持ちになるくらいなら二人で過ごす方がはるかによかった。
松山滞在最後の夜、ホテルの部屋で静か語らいここ数日の素晴らしい時間を夫婦で振り返った。
家内が作ってくれるハイボールが美味しく田中蒲鉾の各種海鮮揚げにとてもよく合った。
これこそ求めていた平穏な時間だった。
気狂いしたような男衆の咆哮は一切聞こえてこなかった。