六甲道で業務を終えJRを使って芦屋駅で降り打出近くまで歩いた。
8月も残すところ数日。
いっときの暑さは影を潜め、日中の歩行が苦役ではなくなった。
10分ほどの行程。
右を見ても外車、左を見ても外車。
ちょっと往来を行くだけで目にした外車は数十台。
その出現率におののいた。
芦屋は関西富裕階級の総本山。
われら下々の民と言えばまるで雀の子。
そこのけそこのけベンツが通る、といったようなものであった。
もちろん目を見張るのは外車だけではない。
瀟洒な豪邸が立ち並び、道行く人の身なりは整って、ちょっとスーパーに寄るだけの普段着であっても夜会服と見紛うレベル。
そして外側のみならず人自体もその内面も最上級。
在住者の知的レベルは高く教育レベルも高く出自は麗しく品もよくだから当然美しく、大人だけでなく見かけるご子息ご息女もほぼみなすべてが容姿端麗で才色兼備。
これが同じ日本なのかと見ている分には興味津々、後学にもつながり発奮材料にも成り得るが、日常的に触れるとなると彼我の格差に暗然となるであろうから毒かもしれない。
一見金持ちで実は多重債務者であったり家計が火の車といった偽物や、一攫千金の山師的なぽっと出の小金持ち風情はおらず、だからケチのつけようがなく、ほとんどが折り目正しく由緒正しい代々に渡る富裕層であるから、積分された格差については、目が点になって開いた口が塞がらないという域と言え、肝つぶれて意気消沈、場合によっては再起困難となりかねず、それこそ知らぬが仏というものだろう。
そのようなことを雀の歩幅でチュンチュンと考えつつ歩き、粛々と打出で業務を終え、阪神電車で帰途についた。
甲子園で電車を降りたとき思いついた。
そうだ女房のためにバロークスを買って帰ろう。
それでイカリスーパーに足を向けた。
バロークスを数種買い、家内の喜びそうなスイカをはじめとするフルーツを幾つか買い、息子のために牛乳と豆乳を買って、自分のために炭酸水を数本カゴに入れたのはいいが、お代とは裏腹、手が引きちぎれるほどの重量となった。
ドラゴンズ戦観戦に訪れたトラキチ集団の間を縫ってバス停まで踏ん張り、バスが来るまで5分ほど耐え、乗り込んで席にありつけたので一時休戦となるものの、その後降り出した雨が激しさ増すなか家へと歩き、びしょ濡れでようやく家に着いてほっとしたのも束の間、門扉を開ける鍵がなく、雨に打たれるまま立ち往生していると、まさに奇跡、ちょうどこちらに向かって歩く家内の姿が見え、ああ、助かった、と心の底から思った。
雨音をBGMに家内と食卓を囲む。
この夜もヘルシー。
奈良で買ったこんにゃくを刺身にして酢味噌につけて食べ、同じく奈良で買ったかぼちゃが香ばしいチヂミとなった。
何もかもいつもと同じ。
花を買い来て妻としたしむ、といった風。
そんないつもと同じが心を満たす。