友人と母校を訪れたはいいが芸術鑑賞会の日と重なり高校の先生はほとんどが留守だった。
かつての副担任を見かけたので挨拶したところ、クラスの皆に紹介してくれたという。
東大の誰それですという友人の自己紹介の後、慶應の誰それですと長男は話し、強みある科目を磨き上げることの大切さを後輩らに向け語った。
東大ばかりが大学ではない。
自己紹介の後、先生がクラスの皆にそう語ったので長男の心の隅にあった傍流コンプレックスのようなものはやわらいだ。
夕刻、今夜うちに泊まる予定の友人を長男が連れて家に帰ってきた。
地元商店街の焼鳥が食べたいとの息子のリクエストに応え大皿に焼鳥各種をずらりと並べ、その両脇を中トロ、かんぱち、カツオといった刺身勢とバラとロースにすき焼きといった牛肉勢が固めた。
さすが慶應女子。
シュッと垢抜けた雰囲気で滔々と語る様は聡明そのもの。
息子が標準語でしゃべることからこの場でのイニシャティブを誰が握っているのか明らかだった。
慶應でも男子校出身者が多く、女子と喋っただけで一大事、それで満足するようなウブな男子も少なくないというから、意外であった。
そんな近辺日常的な話から、話題は空高く飛翔しそのフィールドを広げていった。
これまで過ごしてきたという世界各地の話に耳を傾け、来年は上海に留学するといった話が出たりしたときには、わたしたちも話に混ざって思い出を語った。
まもなく汽車の時間が近づき、息子は席を立った。
両手に食料をたっぷり持たせ、玄関先でその背を見送った。
そして3人となって食事再開。
今度は映画談義に花が咲いた。
映画について喋りつつ思った。
旅のエピソードを語るのと映画について語ることはとても似ている。
旅を広義に解釈すれば、映画鑑賞はその範疇に含まれると言っていいだろう。
旅に映画に楽しくかつ有意義な時間が過ぎて行った。
上京して以来、息子が各所各方面、様々な人物から好作用を受けていることが実感でき深い感謝の念も湧いて出た。