午前中で家事を終え事務所に寄って事務を手伝い、家に戻ってクルマでジムに向かってひととき体を動かし、その足で郵便局から息子宛の荷物を発送し、諸々の買い物を済ませて夕飯の支度に取り掛かり、といった家内の時間の流れのなか、午後8時、わたしは帰宅した。
ハイボールのあてはサラダ。
つぶ胡椒とわさびで食べるローストビーフのサラダに続いて生ハムとチーズの入ったサラダが出てきて、わたしは野生馬のごとくたっぷり葉っぱを摂取することになった。
作ったいくら醤油漬け4瓶のうち出来映えのいい2瓶を息子に送り、送るとなれば息子が好きなものを添えたいと思うのが母であり、シャインマスカットとフルーツトマトも買って付け足したといった話をしつつ、送った荷物の写真を家内はわたしに見せてくれた。
品を新聞紙でくるんで段ボールに詰めただけの無粋な荷物であるが、あふれてこぼれんばかりの愛情に目を凝らせば、色とりどりの花弁に彩られた花壇に見えて急に明るく華やいだ。
まもなく二男が帰宅した。
二男がうどんを注文したので、あいよとばかり麺が茹でられ、まな板のうえ種々の具が刻まれた。
待つ間、二男は喜八洲のみたらし団子をぺろり4本平らげた。
その上うどんを際限なく喉に流し込んで行くのであるから頼もしいことこの上ない。
そのように一日を終え、朝になればまた朝食が支度され弁当が作られ、事務所の用事を手伝い、時には遠方までお使いに出て、ヨガで体を整えてジムにも励み、それでいて家事全般にスキがない。
俯瞰してみれば如実に見て取れる。
日々の骨格を形作っているのは家内であり、わたしたち男3人は雁首揃えてそのなかに組み込まれチョロチョロ動き回っているに過ぎない。
つまり家内が主たる者でありわたしたちは従。
太陽が地球の周りを動いているのではなく、その逆、ということである。
我が家の太陽は今日も明日も明後日も燦々と輝いて、男衆は活気活力をたんと浴びその周りをグルグル回る。