家内がミーちゃんだとすればその友人はケーちゃん。
実際のピンクレディーの仲は窺い知る由もないが、このミーちゃんとケーちゃんはすこぶる仲がよい。
だから数ヶ月前と同様、二人して小旅行に出かけて行った。
主婦たる者、たまには家庭を離れ息抜きも必要なのだろう。
出かける際、家内は満面の笑顔だった。
ひとり残され丸一日自由な祝日を前にした。
が、過ごし方について心備えを怠っているから時間を持て余してしまうことになった。
読まずに積まれた新聞をとりあえず読み、飽きたところでジムで運動しそれでもまだ昼。
先日、きょうちゃんとした会話の断片が耳奥に残っていてAmazonプライムなるものを調べたところ、うちがその会員であることをはじめて知り、そして会員には特典がありAmazonが提供する映画やテレビ番組が見放題であり、音楽が聴き放題なのだとはじめて知った。
早速アプリをダウンロードしその充実に驚いた。
これで映像についてはスカパーとネットフリックスとAmazonのプライムビデオ、音楽ではスポティファイとプライムリスニングが揃った。
前にする娯楽作品の豊穣が凄まじく、これだけあれば頭を無にしどこまでも受身的に楽しく過ごせる。
だがしかし、その時間の徒過が人間の終わりでもあるように思え娯楽の海を前にたじろいでしまう。
で、第一、量が多過ぎて目移りし選べず、選んだとしても気移りしてひとつ処に心落ち着けられそうにない。
受身的に娯楽に興じるよりは名著でも読む方が有意義だろうと、今後の正しい在り方についてチラと直感しつつ、旅路にある家内にAmazonプライムについてメールすると店の予約を頼まれた。
東京で息子と食事する店をソファに寝転がって予約したりなどしているうち、寝入ってしまい起きるとすっかり日は暮れていた。
作り置きの夕飯を食べビールを飲み、ただ漫然と野球中継を見ていると二男が帰ってきた。
家族がいると会話が生まれ、生活に芯が通る。
つまり、暮らしがそこに姿を現すことになる。
わたしはそそくさ洗い物をし、風呂を洗って沸かし、洗濯機を回して衣類をベランダに干した。
金木犀の香りがどこからともなく漂ってきて鼻腔をくすぐり、今は秋とカラダで感じた。
とそこに長男からメールが届いて気付いた。
わたしにはもうひとり息子がいたのだった。
なんと豊かなことだろう。
メールを送り合って近況を交換し、たったそれだけのことで心が満ちた。
結局ひとりだとゼロを掛けるのと同じで何をしようがしまいが大差なく、家族の存在を感じてはじめて実が伴うということなのだろう。