朝起きて家内からの写メに気がついた。
岐阜の土岐アウトレットでいろいろと選んでくれたようだ。
普段履きのローファーにシャツやパーカー。
別に欲しくはないが、家内がこのように調達してくれるからこそ着るものが刷新される。
買物報告の末尾に「日頃の感謝を込めて」との記載もあった。
どのような風の吹き回しか、持って回った冗談か。
額面どおりには受け取れない。
他におどけて写る写真が数枚あった。
思わず笑ってしまう。
どこであれ可愛く面白い。
うちの家内はそんな人物である。
このようにして行った先々の写真が残り、端折りつつもそれらについて日記に書くから、後々気が向けば子らはその跡を辿ることができる。
遠い先、万一わたしたちが不在となっても、思い立てばそれら軌跡をたどって心のなかでは再会が果たせるだろう。
例えばもし家族4人で食べた地方都市のラーメン屋などが残存していれば僥倖。
たとえそのラーメンがあっさり味でも、趣き深く濃厚な味を醸すことは間違いない。
そのとき感傷的な気分に浸っていれば、しょっぱくもなるかもしれない。
数々、その過程に記憶が残る旅をしてきたように思う。
わたしの稼ぎがしょぼくれているので旅はすべてささやかなものであったが、いま思えばどのシーンもかけがえのないものであり値のつけようもない。
つまり、僅かばかりの出費が、小さな非日常の共有を各地点においてもたらし、やがて巨大なものへと結実していったということになる。
行き先を決めるのはほとんどが家内であった。
予算の範囲でいろいろ調べ、いまもそう。
だから家内のウェブブラウザを開けば、そこに旅行の広告が数々現れる。
いまやウェブブラウザがその人物の本質を如実に物語る。
ウェブブラウザに立ち並ぶ広告が中古ブランドのバッグやアクセサリーばかりだと、一見華やかな分だけ愚昧に見えてあさましく、その俗物的な欲深さと執着に獣臭すら漂って物悲しい。
そんな者が母ではなくてほんとうによかった。
子らはほっと胸を撫で下ろさなければならないだろう。
二男が起き出し、家内が作り置いていったカレーを温めそれを朝食にする。
わたしは説明を加えつつ朝日新聞の記事を二つ手渡した。
ひとつは円山応挙についての記事。
綿密な写生技術と伝統的な装飾性を兼ね備えたアーティスト応挙が、新興町人が台頭する京の都においてどんな存在だったのか読めばその片鱗が垣間見える。
もうひとつはショパン。
ピアノの詩人と呼ばれる作曲家ショパンが生み出した清らかな旋律の奥底に、どのようなパッションが潜んでいたのか、激動の時代にあってポーランド人としての矜持を失わず、祖国の文化保持にどれだけ多大な貢献を果たしたのかその一端を知ることができる。
何も知らなければ無であるが、一つでも知っていればそれが綿菓子の芯のような役割を果たして、その分野についての見識が大きく広がり得る。
わたし自身は、文化教養に関し素養なく不案内。
だからせめて息子らには何がしかを知って、様々に為される表現の機微や趣向を多少なり解読できる感性と語彙を持ち合わせてもらいたいと願う。