秋晴天の好日、特に行くあてもないので日曜ではあったが事務所に向かった。
かれこれ二週間分ほど新聞を読まず溜め込んであった。
じっくり目を通すことにした。
読み始めると、結構時間を食う。
途中、休憩がてらジムに行き、腹が減ってはラーメン屋にいき、気分転換で風呂につかるなどしているうち、あっという間に日没となった。
行楽日和の一日をふいにしてしまったという寂寥伴う悔恨を覚えるが、収穫もあった。
息子が読むべきと思う記事を抜粋しファイルに閉じ、ポイントに着眼しやすいよう各所に線を引き丸囲みを施した。
食べやすいよう果物の皮をむき種を取りといった母親がするような行為の父親版と言えるだろう。
長男のときも彼の助けとなるよう求めに応じそこそこの量の文章を読み込み解釈について話し合った。
二男のときはより的確にその役目を果たすべく、彼の血肉となり得る文章をあらゆる分野に渡って探して折々、投じていこうと思う。
それら文章が仲立ちとなって、その賛否や異なる視点の有無、深めるべき論点の取捨選択、表現の適不適などを巡って議論し男子二人のコミュニケーションが深まれば幸い。
行楽ばかりが楽しい訳ではない。
ひとり事務所でファイルを眺めつつ、鳥清で買った焼鳥をあてにビールを飲む。
満足感が込み上がった。
息子に対し何かできることがある。
これは結構嬉しいことである。