師走が目の前だというのに、気温25℃までに達し蒸し暑く、街を歩けば汗ばんだ。
夕刻には雨までぱらつきはじめたので不快指数が一気に増した。
念の為、目についたコンビニで傘を買った。
出先からそのまま電車に乗って、向かうは久々の北新地。
駅を降りまずはレオニダスに寄って家内のためのチョコを買った。
そこから地図を見ながら歩いて5分。
目指すビルはすぐに見つかり、その3階。
『天ぷらとお蕎麦三輪』の引き戸を開けた。
カウンターの奥の奥、誰が見ても店内のなか最高峰と思える上座に案内された。
扱いが最大限に丁寧。
予約してくれたタコちゃんはかなりの上客、店に入って5秒でそれが理解できた。
設えよく快適。
くるしゅうない。
タコちゃんを待つ間、飲むビールの美味いことといったらなかった。
飲み始める際、しじみ汁も添えられるから、給仕は男子であったがよく気がつく女房レベルのサービスと言えた。
店に入ってここまで、5分。
この日カラダのなかに沁み込んでいた不快の毒は、木っ端微塵になって消え去った。
タコちゃんが現れ、日本に4,680本しかないというビールが出され注いでもらった。
なんと希少な、と最初は息を呑んだが、給仕が4,680本を強調し連呼するので、だんだん結構な数ではないかと正気に返った。
京都仕込みだという洗練の度著しい天ぷらは具材もこれまた各地名産が用いられているから実に美味しく、それでビールを飲んでハイボールを飲んでとなれば、人として生まれて味わい得る最上級の瞬間に置かれているも同然で、そんななか友人と語らって、今更ながらわたしはある事実に気づくことになった。
よくよく考えれば、わたしが気軽にタコちゃんと呼ぶ隣席の紳士は、わたしとは住む世界が異なる雲上人といっても過言ではない人物である。
開業医ではなく大学教授となってその世界の権勢をほしいままにしていてもおかしくなく、奥さんも由緒正しい医師家系であり、この日出た話題が、身内の方に授与される勲章の話であり、その祝いの宴をタコちゃんが仕切るというのだから、まさにその大役は顔広く人の繋がり濃いタコちゃんにしか果たし得ず適任と言え、実際、六人介せば世界の誰とでも繋がると言う説あるがタコちゃんを通せば半分のステップで済むから、天はタコちゃんの周りに的を絞って重き為す人ばかりを配したとしか思えずだから何であれタコちゃんなしでは話が始まらないということになる。
それなのに痛風患うしがない中年に過ぎないわたしがこうしてタコちゃんと隣り合っているのは、住む世界のコードに混線が生じたからとしか言えず、ああなるほど、こういうことも含めて、大阪星光のご利益にわたしは与っているということなのだった。
このような混線は学校という場や他には結婚という機会を除いてはあり得ない。
大阪星光、ありがとう。
この歳になってみな経済的に盤石。
いったい何度わたしは友人らにおごってもらったことになるだろう。
おそらく還暦を迎える頃には、星光に払った学費分はチャラになる。
もちろんわたしも頑張っていつか皆に恩返しをと思う気持ちもあるが、そんなことを企むだけで頭が高いという話であるから、素直に厚情にあずかることで深い感謝の意を示したいと思う。



