仕事にかこつけ居酒屋で独り飲む日々をしばし送ったが、とうとう家内による生活指導が入って、この日は帰宅後ジムに連行された。
出だしこそ億劫に感じたものの、腹やら腕やら足やらの筋肉に負荷をかけはじめると次第に燃えてきて、顔は苦悶に歪むが気持ちがよくて実に楽しい。
結局小一時間、もう限界というところまでカラダをいじめ抜いて爽快。
いじめて得られるこの気持ちよさは一体何なのだろう。
居酒屋でぼんやりひとり過ごすよりこちらの方がはるかにいい。
そう実感しつつ、家内を探すとまだ引き続きマシンと格闘している。
親が用事する間、そこらぶらつく子どもみたいにわたしはその終了を待った。
運動後、階下のスーパーでワインや果物を買いながらトレーニング中の感想など話し合って、家内と意見が一致した。
西宮のジムは美男美女だらけ。
大阪とは比率が異なる。
家に戻って、夕飯は豚しゃぶ。
手分けして準備しつつ、前菜をあてにワインを飲む。
鍋が煮立って家内と二人で向かい合わせ。
三田ポークを投入し、豚に続いては牡蠣を入れた。
夫婦で鍋をつつきながら、しみじみ思う。
日頃の食事に恵まれているからたまに寄る居酒屋が楽しいと感じられるのであって、もし連日連夜、居酒屋ばかりであれば、わびしく暗く薄ら寒い話であって、とてもその図を心から楽しむなどできやしないだろう。
つまり、安心して過ごせる正解が背後に控えているから、波打ち際にて不正解と戯れることができるということである。
家内が当たり前のことのように毎日毎日家を整え料理を作り、何であれ努力を欠かさず一生懸命。
その在り様が暮らしに良き流れを生んで、だから子らは元気丈夫に育ち、なんとかわたしも崖っぷち一歩手前で踏みとどまることができている。
やはり家庭の良し悪しは女房の出来不出来次第ということなのだろう。