慌ただしい日が続く。
こんなときは適宜、沈思黙考の時間が必要になる。
この日、業務の最終地点は阿倍野。
書類のやりとりを終え午後8時過ぎ、ひとり正宗屋に向かった。
カウンターに腰掛けおでんを頼むが、おでんの主だった具はこのとき既に売り切れていた。
逆に刺身はほぼすべてが残っていたので、やはり冬。
湯気立つものから売れていく。
家内からも今夜はおでんとの連絡を受けていた。
作り置かれた家内手製のおでんも魅力的ではあるが、いかんせんわたしは阿倍野にいて、しかも夜。
蜘蛛の巣に絡め取られる羽虫のようなもの。
正宗屋を素通りなどできるはずがなかった。
どのみち家内も今夜は家を空けている。
おでんは逃げず、日持ちするから次の日食べれば済む話であった。
ビールを皮切りにし早速、沈思黙考の時間に入った。
喜悦がじわじわとカラダ各所に行き渡って、全身が息を吹き返していく。
生気取り戻しつつ、それにしてもと家内のパワーを思って舌を巻く。
昨年は長男が受験で、どうせなら真面目に過ごそうと家内は家内で国家資格の取得を目指して要領よく勉強し、見事その関門を突破した。
これが長男にとってもいい景気づけになったはずである。
今年は得意の語学に磨きをかけている。
もちろんそれで家事が疎かになることはなく、事務所の仕事を手伝ったうえにヨガにもジムにも励んで日夜明るく歌って踊って、料理についてはその凄腕を更に発展させ続けているからやはり凄い。
部活に勉強にと忙しい二男のため早朝に起き朝食と弁当を作り、夜遅くに帰宅した際には夜食も作る。
もっぱらミッドナイト焼肉。
二男のカラダが強く逞しくなっていくのも当然という話である。
料理が芯となって芸に磨きがかかり、相乗効果で芯がいくつも増えて多芸多才となっていく。
そんな強靭化の道をゆく家内であるから、味方にすれば百人力で、万一敵に回せば破滅的結末が避けられない。
そして、やはりどうやら世間で言われるとおり、息子は母の性質と有り様を引き継ぐようだ。
息子らにしても、活性というのだろうか、エネルギーのレベルがわたしの比ではない。
基本的な体力が違うし、気力も根気もコミュ力もストイックさも真面目さもすべてに渡ってわたしは全く敵わない。
もし子らと対決したとして、走って負けるし取っ組み合いをしても負けるし卓球をしても負けるし、英語も負けるし顔も負けるし背も負ける。
作文を書いても彼らの方が面白いから勝ち目がない。
そして子らに負けることほど嬉しいことはなく、自らの負けっぷりが無残であればあるほど喜ばしいのであるから、親はバカだと言うけれど一種の変態とも言えるだろう。
家内が先頭に立って突っ走り、一歩も遅れることなく息子らがそれに続いて、その様子を傍で見ていて、付き合う人の顔ぶれがずいぶんと様変わりしていったことに気づく。
類を持って集まるというが、まさにそのとおり。
子らが小さいときにはチャラチャラしたようなおかん連中も種々周りにいたが、いまでは全く見かけない。
山登りと同じで男子育てるには一にも二にも脚力で、余計な飾りは全く不要、むしろ邪魔になるということなのだろう。