帰宅すると家内が玄関で待機していた。
その場で着替え助手席に乗った。
家内の運転で向かうはジム。
グズグズすれば行く気が失せる。
仕事を終えた後の夕刻、スムーズにジムに移動するには間髪入れずが手順の一、つべこべ言わずが手順の二となる。
空いているマシンから使って脚、腹、胸、腕、腰、背中と喝を入れていく。
小一時間も筋肉を使えばもう限界。
全身がプルル震えてもう動けないが、カラダの天辺にだけは風巻くように高揚感が舞って至福の境地が全身へと駆け下りて行った。
仕事後に筋トレするなど正気の沙汰ではない。
やなこったと心こわばらせていたなど遠い昔のことのよう、夜の筋トレも悪かないと家内に感謝するような気持ちになっていた。
トレーナーのアドバイスを聞きつつまだ運動する家内を待つ間ぶらぶらと走り、帰りの運転も家内に頼んだ。
二男の夜食においしいフライドチキンを作るといって少し足を延ばしイカリスーパーに寄ってから帰宅の途についた。
量販店的な店で廉価な肉や生鮮品を買うことなど家内にあっては絶対にない。
子らが口にするものに細心の注意を払い食材選びで手を抜くことは決してないのでこういった遠回りは日常茶飯事のことであった。
車内でも食べ物の話。
商店街の魚屋で買った赤貝を二男に食べさせて家内が感想を求めたところ、結構うまいが中央市場の寿司ゑんどうの赤貝には及ばないと二男はのたまったという。
そんな話を聞いて父として嬉しい。
しょぼい家計をやりくりしつつ、様々な事柄について比較対照する機会を子らに提供することができたと思うと胸が満ちる。
できる範囲で種々のアクティビティに取り組み、ありとあらゆる店で食べ、各地出かけ、いろいろな人が我が家を訪れた。
何か一つを知るだけの単眼ではなく、多少なり複眼であれば、事の本質が像を結びやすくなるはずである。
家に帰って家内と二人。
白ワインを開け前夜の残りのふぐを並んで食べて、この夜も一枚の写真に目が留まった。
ちょうど4年前のこの日。
期末試験が終わって長男の友人ら5人が泊まりにきた。
食卓に二男も長男も混ざって計7人で食事し談笑している場面が写真に捉えられている。
いまや各自東大や医学部に通う面々であるが、二男にとってこういった兄貴分たちの影響は小さくなかったのではないだろうか。
しょっちゅう兄貴の友人らが家に来たことは二男にとって良い刺激であったはずで数々の示唆を得たに違いなく、自身にとって益ある場だと直感したから物怖じすることなく一緒に混ざって飯を食ったし風呂にも入ったのだろう。
そんな話を家内としつつ写真を眺め、目を凝らすと端の方、遠く離れた場所から食卓の様子を窺うようにして佇む小さな少年が写り込んでいた。
いまは疎遠となって会うことはないが、どこか近所の子だっただろうか。
月日経つのは早く、その小さな少年もまもなく中学受験の本番を迎えるはずである。
確か灘に行くのだと言っていた。
4年前のあの日、彼の目に映っていた連中の誰よりも上をいま突っ走っていることだろう。