KORANIKATARU

子らに語る時々日記

また来たおなじ道を堂々巡り

息子の帰省に合わせ家を小奇麗にしておきたい。

母という種族はそう思うようでこの日家内は梅田や難波を行き来して買物に勤しんだ。

 

帰途、家内が事務所に顔を出したとき時刻は午後6時。

軽く一杯行こうと話が決まって、近くにある活菜を訪れた。

 

熱燗とハイボールで乾杯し、家内が注文した料理を二人でつつく。

牡蠣、なまこ、カキフライ、イカの煮物、えびつくね、そして焼魚はブリ。

どれも美味しく、家内は大将に何度も賛辞を送った。

 

とてもいい飲みの時間となったが、わたしの隣に座る一人客の女子がタバコをふかせ始めた。

煙たなびきダイレクトに顔にかかって不快極まりない。

 

家内と顔を見合わせ席を移ろうかと目で合図を送り合う。

しかし、一人客の気分を害するのも悪い気がして、耐えることにした。

 

ただ煙にさらされてはたまらないので夫婦揃って人力即席空気清浄機となり、ふうふうと息を吹きかけ煙の切っ先を向こうに押しやり続けることになった。

 

この日、夫婦の飲み会において挙がった議題は1つ。

二男の制靴について。

 

昨年、底がめくれて新品に買い替えたばかり。

ところが一年も経たぬうち、また底がめくれた。

 

周囲に聞けば同様の事例が続出していて、靴のかかとが取れるという事例についても複数の声が寄せられた。

 

すぐ破損するだけでなく機能面でも劣る制靴を一万円も出して買うなどバカバカしい。

そう考え、類似の品を代替として息子に履かせているという母もいた。

 

足は命の土台、暮らしの基本でありかつ気力活力と尊厳の源泉。

粗末に扱っていい部位ではない。

だから、半分もせぬ価格であることはともかく、丈夫で歩きやすいとなれば、子のためを思って誰だって類似品を選ぶだろう。

 

学校に行き来するだけで一年も保たず破損するなど不良品ではないのか。

そう思ったので、うちはめくれた靴を業者に送った。

 

が、なしのつぶて。

それでこちらから連絡してみたところ、不良品ではない、おたくの履き方が悪い。

その強気の一点張りであった。

 

結局業者は、めくれた靴をめくれたまま返送して寄越すことになった。

その業者の靴をとても買う気にはなれないので、修理して残り一年使うことにした。

足鎖をも糧とする。

これも青年時代の修行と捉え、息子は足を強靭化すればいいのである。

 

それにしても疑問なのが、いったいなぜ、一保護者が業者と直接やり合う形になるのだろうということである。

 

こんなとき夫婦で決まって例えば西大和であればどうなのだと比較の話になる。

 

くれぐれも余計な電話は学校にしてこないでください。

星光に入学したばかりの頃、オリエンテーションで父兄はそう釘を刺された。

実際、午後5時をまわると電話がつながらないし、釘を刺されているから並の神経では電話もし辛い。

 

一方の西大和。

いつでもなんでも電話をしてきてください、と徹底的に父兄に声をかけ午後8時過ぎても電話がつながり対応も真摯。

だから、しょっちゅう実際される保護者アンケートで学校に対する満足度が高いのも頷ける。

 

西大和であれば声を集めて担任や校長に直接相談すれば、おそらくそれで問題が解決に動く。

星光の場合、この制靴についていったい誰に相談すればいいのだろう、皆目見当もつかない。

 

学校はほんとうに保護者や生徒の身になって業者や品を適切に選定しているのだろうか。

そんな疑問をどこにぶつけることもできず、業者に直接連絡し、けんもほろろといった扱いを返されることになるが、やはり何かおかしい。

 

そして靴に附随し夫婦の話題はあの制カバンに移る。

 

一昔前なら塾は勉強のできない者が行くところであったが、いまや塾なしで最難関の入試は語れない。

確かに学校にも素晴らしい先生がたくさんいる。

しかし概して塾の先生の方が熱心で頼りになる。

 

で、塾に通うと荷物が増える。

学校の教材に体操服に部活の道具、それに加えて手作り弁当。

これだけでも相当な量だが、ここに塾の教材が加わると荷の嵩は尋常ではない。

 

それであの制カバンは酷である。

母なら誰だってそう思う。

ものは入らないし、ただただ重くて、取っ手に片手ひとつが塞がれる。

 

先日たまたま制カバンをショルダー式に改良し肩からかける生徒を駅で見かけた。

そこにまさしく親の親身を感じる一方、学校の無関心にも思い至らざるを得ないのだった。

 

そして、また来たおなじ道を堂々巡り。

思いを向ける場所がどこにもない。

 

学校に声を拾ってくれる場所はなく、だから母らは学校至近でお茶しながら、ああでもないこうでもないと思いの丈をぶつけ合い虚しい時間を徒過することになり、この夜のわたしたちのように酒場のカウンターでふうふうしながら管を巻くことになる。

 

もしそこらが改善されれば申し分ない。

 

どんな組織であれ実践する「顧客の声を聞く」という在り方が備われば、大阪星光のすべてのレベルがいや増しとなって、客足絶えぬ駅前の蕎麦屋といった存在から他の追随を許さない凄みある名門校に変貌するのではないだろうか。

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