仕事の手伝いに来ていた家内が会議机に座って語学の予習に勤しんでいる。
業務に一区切りついたので、家内を促し一緒に事務所を後にした。
日中の暖かさはどこへやら。
日暮れ後は空気冷たく、袖口や襟元あたりから寂寥のようなものが忍び込んでくる。
商店街の料理屋でおせちを頼み、並んで歩いて久々、寿司割烹もりを訪れた。
真っ暗な路地裏、質素に灯る置き看板が目印。
路地に入り引き戸を開けてカウンターの奥に腰掛けた。
結構な人気店であるから予約が必須。
壁にかかるカレンダーをみると年末まで既に予約で埋め尽くされていた。
ビールで乾杯し去り行く年の余韻を噛みしめるように差し出される寿司をゆっくり味わう。
やはりどれも美味しい。
いろいろな寿司を食べてきたが、ここは屈指。
値段も安いので穴場中の穴場と言えた。
この日の昼、家内はママ友宅を訪れていた。
家内には耳つぼアロマという得意技がありたまに請われて家に招いたり出かけたりして人を助ける。
ママ友の子らがまもなく受験。
毛並みいいので最も難しい中学を受けるがずっと判定はA。
それでも知らぬ間に心労積み重なって疲れが自覚されることになり、そんなとき耳つぼアロマがてきめんに効果を発揮する。
寿司を食べつつ、ママ友の喜びの声とともにママ友宅の血筋の凄さに聞き入るが、聞けば聞くほど実に優秀であるから、やはり遺伝子がすべてを決めるのだ、そう思えてくる。
兄弟揃って最高峰レベルで頭がよく、辿れば親も祖父母もみんなそう。
最優秀の階層が最優秀を生み育てていくプロセスは、大波小波と不可視の縄跳びが回転するなか足並み揃えてジャンプし続ける営為みたいなものであり、わたしたち下々の人間には何が為されているのか見当つき難い。
しかし、たとえ下々であれ、頭の良し悪しが大きくものを言うこの世知辛い人生劇場、そこを無視しては下々より更に下という事態を招きかねず、それが血となって遠く子々孫々にまで伝播するのだとしたらこんな殺生な話はなく、だから見よう見まね、縄が足にかかろうが足並み乱れようが諦めずにジャンプし続けなければならないということになる。
そんなことを思いつつ、遠く思い出のなか分け入って、昔わたしはそんなことを意識していたのかどうか振り返った。
家内を女房にしようと決めこちら主導でどんどこ話を進める過程においては、見た感じや雰囲気といったアバウトな要素しか見ておらず、頭の良し悪しにまつわることなど問うことさえしなかった。
いまの知識を当時持っていれば、そこにも焦点を当て如何ほどであろうかと推量しようとしたに違いない。
成績や得意科目を尋ね認知的能力の尺度として捉え、部活や仕事や趣味などの取り組みを尋ね非認知的能力の有無をも知ろうとしたはずである。
幸い、そんなことを一切問わずとも選んだ相手は努力家で聡明、機転利いて胆力あってコミュ力桁外れな女性だった。
もしわたしだけの遺伝子と生活習慣に、勉強嫌いで不精者の女子が掛け合わさっていたとすれば、ずしりと重い十字架を子に背負わせることになったかもしれない。
つまり、わたしの場合は結果オーライ。
そもそも何の特技もない血筋。
見渡すかぎり下々でせいぜい良くても中の下。
せめて孫の代までは人並みの勤勉さと読み書き算盤程度は維持したい。
だから子らに語る結論は結局いつもと同じことになる。
中身以外に大事なものはなく、見てくれなんてついでの話。
二兎追う者はスカを掴むという喩えを肝に銘じ、優先順位をはっきり明確にして求婚相手を選ぶべきだろう。