クリスマスの買い出しを終え家内が事務所に顔を出した。
サンタからのプレンゼントを職員の子どもたちのため届けに来たのだった。
こんな細やかな気遣いができてこその女房。
わたしでは思いつけないことである。
先日と同様、一緒に帰ることにした。
魚屋がまだ開いていて上ネタも数々残っていた。
各種刺身を見繕い、鍋用にあんこうを二盛り選び、焼魚用に太刀魚と鮭を買い求めた。
その足で酒屋に寄って白ワインも調達しこれで晩酌の準備が整った。
二人並んで電車に揺られ、先日塾の先生に聞いたという話を家内がしてくれる。
塾の先生は北野高校贔屓。
北野生は星光生より覇気があって団結力があって勉強に関して用意周到。
星光のように東大や医学部に続々といった層は少ないが、京大に的を絞り仲間と束になって取り組む気迫には凄味があるから是非とも見習うべきである。
そんな話を聞きながら、わたしは言った。
せっかく塾で一緒なのだから、北野高校の生徒とも仲良くなればいい。
それで輪に混ぜてもらっていいところはどんどん吸収するべきだろう。
で、最も見習うべきは先生に「贔屓」にされるコミュ力の方ではないだろうか。
学力的にうちの二男がひけを取るはずはないが、しかしコミュ力ではそもそもくぐってきた修羅場が異なるから学ぶところ多々あるに違いない。
公立中学の内申書で折り紙つきの彼らである。
学校教師の評価をほしいままにしてきたであろう彼らのパフォーマンスを目の当たりにできるなんて、こんな恵まれた話はなく、「コミュ力」が更に熟した「コビ力」とも言える生きる術のようなものを是非ともこの際、参照するに越したことはない。
揶揄でも何でもなくそれが力であると分かってはじめて大人としての第一歩を踏み出すことができる。
兄貴はラッパーで弟は作文のタイトルで「は?」と書いた。
うちの子らに最も欠けているのが「コビ力」であるのは明確で、今後なくて済むものでもない。
どんな世界であれ、覚えめでたい存在となってはじめて引き立てられ、良きに計らえと自由度の高い立場が手に入る。
「は?」と言って、得することなど何もないのである。
そんな話をしながら家に戻って、帰宅後家内はすぐさま息子の夜食の支度に取り掛かった。
わたしは家内の二万語に相槌を返しつつ刺身をあてに白ワインを喉にゴクリと流し込む。
クリスマスだから息子のためにチキンを焼くのだと家内は張り切っている。
焼き上がったチキンが頭に浮かび、引き続いて、これまで家内が作ってきた料理の数々が頭になだれ込んでくるかのような感にとらわれた。
長きに渡って作り続けてきたから、料理は膨大な量にのぼって収拾がつかない。
いつかアルバムにして整理しなければならないだろう。
そうすれば安心。
子らはいつでも母の愛情にアクセスできることになる。