秋学期末試験に備え勉強に励む合間、息抜きがてら長男から電話がかかってくる。
近況を知らせる会話のなか、ニュースで取り上げられた事件についても話が及ぶ。
大学名を挙げて伝えられるそれらニュースはいずれも聞くに堪えないものばかりであり、その恥知らずな面々に開いた口が塞がらない。
早稲田の方が良かったかもしれない。
息子からそんな言葉が出るのも致し方ない。
遡ること30年前。
わたしが大学生になろうとする頃と言えば、早慶の語順のとおり理系でも文系でも早稲田がその評価で先んじていた。
しかし時が流れていつの間にか順序は逆転し、早慶の選択に際してはほとんどが慶應に軍配を上げるような傾向が強まって、かつ、この先、再逆転の見込みなく、もはや決着がついてしまったかのように見え、だからうちの息子も慶應で迷うことはなかった。
ところが眉を顰めるような出来事が次から次へと引き続いて止む気配なく、呆れ返ることが常態化してくれば、そもそもの話に立ち返ってしまうというのが人情というものであろう。
長男と話し終え、とんだとばっちりで被ったも同然の憂いとともに事務所に戻ると、まもなく煩忙の月末。
我が家の愛すべき猫の手が仕事を手伝っていた。
ひと仕事終え、一緒に帰る。
途中、商店街の魚屋で刺身を買い求め、酒屋で白ワインを選んだ。
家に帰って、話題は二男の球技大会の話から長男のバイトの話に移った。
軽い気持ちで始めたものの、受験学年の算数など主要教科を受け持っていまでは楽しくて仕方なくついつい全力投球してしまいがちだという本人の弁を家内に伝え、そうなる理由についてわたしは仮説を述べた。
おそらく長男も家内の血を継ぎ「善の人」。
人に良くすることを喜びとするタイプであるから、塾講師になれば当然、血湧き肉躍る。
電車、昆虫、釣り、ラグビー、ラップと彼の関心領域は成長とともに移ろってきたが、その通過点のなかに塾講師が入って、それが次の何かへの伏線になっていく。
次に彼は一体何に目を輝かせるのだろうか。
続きを見ずには耄碌できない。
そんな話をしつつ白ワインのボトルが空いたので、続いてフォアローゼズの水割りを飲もうとし家内にきつくたしなめられた。
一杯だけだと懇願すると、結局、妻はやさしい。
許しが得られ、それでわたしの両の眼は燦々と輝いた。