終日、クルマでの移動となった。
長時間にわたってハンドルを握ると多少なり意識が変性し、普段とは異なる仕方で思考が巡る。
南河内から中河内に至る道を走っていると、駆け出しの頃のシーンが浮かんで今と昔が並走しているような感にとらわれた。
何も変わらぬようでいてその実、いろいろなことが変化した。
今昔の時間差に横たわる数々の良し悪しを差し引きすれば良いことの方がはるかに多く、その差異が視覚化されたかのようであって、深い感謝の念が込み上がってきた。
こんなちっぽけな人間であるのに曲りなりやってこられたのは、まさにお陰様。
視界にいろいろな人の顔が次々浮かんでそして気づいた。
厚情が敷き詰められた道をわたしは走っているも同然。
今後も引き続き倦まず弛まずこの道を進んで行こうと、アクセルを強く踏み込みながらわたしは固く決意した。
業務を終え帰宅すると家内が待ち構えていた。
ジムに行こうと誘われクタクタだったが付き従った。
そして、あら不思議。
長距離運転によりカラダに巣食っていた疲労がいともあっさり消え去って、代わりに幸福感が全身に行き渡っていった。
ジムを後にして、この日も家内と意見が一致した。
やはりジムは癖になる。
帰途、精米所に寄り米10kgを精米し、その足でゆうゆう窓口にも寄って長男宛の荷物を送った。
種々の食材とバレンタイのチョコ、それに『二月の勝者』1巻から6巻までがダンボール箱に詰め込まれていた。
家で野菜たっぷりのアンコウ鍋をつつきながら夫婦でする話題は『二月の勝者』について。
二人の息子の中学受験を経てきたから、そこに描かれ匂い立つ、怖いくらいにシュールな状況が他人事とは思えない。
登場人物皆が無事合格を勝ち得る訳ではないだろう。
頑張っても願っても真面目に取り組んでも、登場人物のうち誰かは残酷な結果を目の当たりにすることになる。
そう予感させられるから、母らの感情の揺れのようなものまで伝わってきて、漫画なのに不安と期待とそれらがもつれて生じる緊張感がありありと伝わってくる。
受験に際し思い入れが強ければ強いほど結果が不本意であった場合、受ける痛手はいや増しとなる。
しかし罪なもので、時を追うごとなんとかなるのではという根拠薄弱な楽観が冷静な観測を押しのけていくから、どうしても潜む痛手は巨大化してしまうことになる。
そして、子の将来を思ってというそもそもの目的に、親の身勝手な願望や見栄や体裁といった様々な思惑もつけ加わって、風船が膨らみ過ぎた状態となっていく。
おそらくこの先は読むのも苦しいといった展開になるのだろうが、だからといって、登場人物らと同様に、はじめた以上引くに引けず、読むのをやめるなどできやしない。
7巻の発売は2月12日だそうである。
まさかこの歳になって夫婦で夢中になる漫画と巡り合うなど思ってもみないことだった。