KORANIKATARU

子らに語る時々日記

最後の最後、もう続きはない

家でゴロゴロして過ごそう。

そんな空気になりつつあったが、心の奥底、2日連続でジムをさぼるなどあってはならないという思いが双方にあった。

結局、互い励まし合ってジムに向かうことにした。

 

金曜の夜、みな遊びに出かけているに違いない。

ジムはがら空きだった。

 

いつもどおりルーティンをやり終え、夫婦の感想は同じ。

やはり来て良かった。

 

さっきまでの気だるい空気は雲散霧消し、帰宅後、家は快活な空気に満ちた。

 

この日、家内はK-FOOD食材を調達するため御幸森界隈までクルマを飛ばした。

その恩恵に与る夕飯となった。

 

ツヤツヤの蒸し豚を見事なまでに色鮮やかみずみずしいキムチとともに口に放り込むと、あまりに美味しいので頬張っているのか笑っているのか判別つかぬほどの歓喜の表情が浮かぶ。

 

その他、焦げご飯の入った参鶏湯も作られた。

これで滋養たっぷり、うちの家族は更に強くなる。

家内のおかげ。

 

食後、先に風呂をあがってテレビをつけるとシネフィルWOWOWでミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』が放映されていた。

話の途中からであったがウイスキーの水割りを飲みつつ、それに見入った。

 

ちょうど夫が妻の枕を手にとる場面。

そのとき家内が風呂を終え階段をあがってきたので、わたしは慌ててチャンネルを替え録画してあった『SKYキャッスル』の再生ボタンを押した。

 

いつか遠い先、『愛、アムール』が描く終局に生じたのと同様の衝動が脳裏をよぎる。

誰であれそんなことがないとは言えない。

 

いま元気であっても、やがては衰える。

カラダの自由が利かなくなって尊厳を保つことも難しいという状況になれば、生き永らえることの意味を問い直さざるを得なくなるだろう。

 

あのときは楽しかった、という思い出のなかに喜びが見出せるうちはまだ幸い。

懐古する余裕も失われ、ただただ苦しいとなったとき、人生の末期を襲うその苦しみに耐える意味などあるのだろうか。

 

韓国ドラマ『SKYキャッスル』は全部で20話あるが14話、15話あたりからミステリーの様相を帯びてきて、今後の展開からますます目が離せず、早く続きが観たいという渇望を抑え難くなってくる。

 

16話は来週の木曜日で17話が金曜日。

ああ、待ち遠しい。

 

夫婦揃ってドラマに夢中になり、日常の暮らしのなかそんなささやかな楽しみがあるというのは平和で実に幸せなことであると感じつつ、その一方、『愛、アムール』が描いたとおり、最後の最後に至れば、人生に続きはもうないのだと観念するような思いにもなるのだった。

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2020年2月14日 息子の朝食 特製チャーシュー丼と弁当
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昔の2月14日 2019年夜 四谷とんちゃん,丸正食品総本店

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昔の2月14日 2015年 桃谷風月,2018年 活菜海鮮丼大盛

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昔の2月11日 2017年 公園 66期のべ5人