自営の者であるから無論職場に先輩はおらず、同じ業界の人とつるむことがないのでそこにも先輩といった存在は皆無。
大阪で暮らして長く、大学の先輩とも疎遠。
だからわたしにとって身近に接することができる先輩は大阪星光OBをおいて他にない。
この日、午後6時には業務を終え梅田にある阪急インターナショナルに向かった。
ここ数日、大陸から寒波が押し寄せ冷え込み厳しく、新型肺炎の驚異も迫っているから街に出ればそれがあたかも正装であるかのように誰も彼もが顔をマスクで覆っている。
異様な様も見慣れれば日常。
その光景に溶け込むようにしてわたしもマスクを手にとった。
春蘭門に到着したのは待ち合わせ10分前。
すでに28期松井先生の姿があった。
そのでかい背を見ながらテーブルに進み着席し、まずはビールで乾杯。
給仕される料理は冬のコース『満喫-Mankitsu-』
一品一品が贅の極み。
ふかひれ、フォアグラ、北京ダック、伊勢海老、あわび、和牛フィレ、すっぽん、燕の巣。
食材の至宝とも言える珠玉8品の競演に目を丸くし続ける夕餉となった。
子どもたちの近況などについて和やか会話し、いったいどれだけの紹興酒を飲んだことだろう。
学校の同窓会行事などで松井先生にはしばしばお目にかかるが、たまにこうして食事に誘っていただけることがとても嬉しい。
よき先輩に恵まれて幸い。
大阪星光はほんとうに素晴らしい。
そういう思いになる。
昭和57年、大阪星光に入ったとき、まさかこうなるなど想像すらしなかった。
33期の交流が継続するのはもちろん、先輩後輩との交流も生まれ、生まれた子は66期になり松井先生の子は67期になって、その他続々33期の子らも69期や70期となって、まさに縦糸と横糸のたとえのとおり意義深い縁が綾なし絡み合っていく。
最上の中華を十分に堪能し尽くすこと2時間。
席を立ったとき家族への手土産まで用意されていたので驚いた。
感謝の言葉もない。
大阪駅まで並んで歩く。
真冬の夜気が心地よく酔いのほてりを冷ますのにちょうどいい。
三階の改札を入ったところで別れ、わたしはそこにじっと立ってそのでかい背を見送った。
神戸線に乗っての帰途、長男からメールが届く。
この日の午後、バイト先で立番をやっているとかつての同級生が通りかかった。
夜もまたかつての同級生と武蔵小杉で出くわした。
翌日が慶應医学部の試験日。
西大和卒の剛の者らが続々と東京入りしているのだった。
彼らの顔が浮かんで祈るような気持ちになる。
みなが吉報をつかんでまたうちの家で勢揃いする日が待ち遠しい。
と言ってもあっという間のこと。
彼らどころかそのうちすぐ大阪星光66期も67期も大学生になる。
令和2年2月の夜には思いもしなかった面白く意外な交流がこの先数々生まれることだろう。
そしてそこに先輩として関わっていく、といった場面もあるかもしれない。
であればいまからそれに備え、わたしも背中をでかくしておかねばならない。
自然、吊り革を掴む手に力が入った。