キッチンカウンター越しに料理を受け取った時、それが一瞬ステーキに見え、わたしは大いに喜んだ。
が、まじまじ見れば、似ても似つかない代物。
しいたけの原木。
そのバター焼きが夕飯のトップバッターだった。
食べてみると案外おいしい。
しかしながら、口はステーキを待ち受ける態勢になっていたから、拍子抜け感は拭えない。
続いては手作り餃子。
野菜がたっぷり入って具だくさんのなか、にんにくの風味がひときわ利いて実においしい。
男子であればにんにくが必須。
仕事に邁進した後、心身のリフレッシュに最も有用な食材であり、だからにんにくを食すのは仕事男子のエチケットとも言っていい。
そしてメインは豚キムチならぬ牛キムチ。
上から丹波の卵が投下され栄養満点。
しいたけが焼肉に置き換わり、そっくり同じメニューが二男の夜食または朝食になるのだという。
松竹梅とランク化すれば、家内にとって長男二男が最上級の「松」であり、わたしは「梅」というよりそれより下の「茸」ということである。
「苔」にされるよりマシと思うほかない。
ワイルドターキーで作ったハイボールを飲みつつ、椎茸を味わっていると長男からメールが入った。
誰々が東京に来るので横浜で週末遊ぶ。
そんな淡泊な一文が親としてとても嬉しい。
振り返れば、中学になったばかりの頃のこと。
同じクラスになって席が前と後、というのが縁の発端。
以来、ずっと一緒。
彼はうちの息子のことを親友だと言い、うちの息子も彼のことを親友と呼ぶ。
つまりは無二の友。
雛が最初に目にしたものを親と思う、そんなメカニズムと同種のものなのかもしれない。
中学という未知の世界に飛び込んでいったとき最初に声を掛け合って、未知の扉を一緒になって拓き続ける仲になり、この先もずっと声を掛け合う仲になった。
ドラえもんで例えれば、うちの息子がジャイアンで、彼は出来杉くん。
一見不釣り合いでありながら、奥深いところで何か呼応するものがあるのだろう。
息子に友だちがいる。
そんな当たり前であるようなことが、親としてこんなに嬉しいのだと思わなかった。
家内とともに息子の友だち談義となって、つくづく思う。
随所にちりばめられた縁のスイッチが次々にオンとなって交流の編み目が色鮮やか光を放つ。
ほんとうに彼らはいい友人たちに恵まれた。
皆が束になって力を合わせ、未知の扉を拓き続けていく。
そんなイメージが浮かび、ワイルドターキーの香りがますます芳醇なものになっていった。