ことあるごとに手を洗うが、この習慣は昔から。
あれは中学生の頃のこと。
井上先生が生物の授業中に言った。
手はバイ菌だらけ。
だから外出した後は石鹸で手を洗わねば気が済まない。
末さんこと井上先生はブラシまで使うというのだから本格的な話である。
その話を聞いて以来、手を洗わずには落ち着かない。
わたしに限らず末さんの授業を受けた星光生は、おそらく皆そうなのではないだろうか。
たまに出先で石鹸が見当たらず、自身の手が洗えないときなど、そこはかとないむずがゆさが込み上がる。
だから、誰かの不潔な手を目の当たりにしようものなら、その手には手出しのしようがないから、もどかしくて耐え難い。
例えば、毛羽立つようなネイルの紋様。
目にするだけで怖気が走り、もしそんな手が食べものなどに触れたりすれば血の気が失せる。
邪悪な毒蛾の禍々しいような鱗粉が、ガサゴソと食べものに払い落とされているようなもの。
思い浮かべただけで、息が苦しくなる。
一体なぜなのだろう。
気をつけていてさえ薄ら汚れるこの指先を、更に込み入った手を使って汚濁させるなど、とても身だしなみの一環だとは思えない。
このご時世であれば尚更。
名は体を表すというのと同様、手先にその知性のほどが垣間見える。
そう言っていいのではないだろうか。
些細な部分を凝視することで全貌があらわとなる。
息子らには口を酸っぱくしてこういった視点も大事なのだと伝えておきたい。