朝5時前には朝日が差してわたしも活動を開始した。
よく訓練された隊員みたいに5分で身支度整え玄関を出た。
門を開ける際、もしやと思ってクルマに乗り込みエンジンをかけてみた。
案の定、エンプティに近かった。
給油はわたしの役割。
そのままアクセルを踏み無人の街路を走り抜け、セルフのスタンドで満タンにした。
家にとって返してクルマを置いてようやく出発。
ここまでに要した時間は15分。
ちょうど早朝の電車一本分の間隔であるから、スムーズに朝二番目の電車に乗ることができた。
朝一番から意義深い用事を果たせると気分がいい。
まもなくガソリンが空になる。
そう思ってクルマに乗り込む家内は「えっ、満タンやんかいさ」と驚くに違いない。
休日ではあるが仕事をこなす必要があった。
しかし際限なく仕事に注力すれば一日がそれだけで終わってしまう。
だから、仕事するのは3時間だけと決めていた。
3時間で自身の拘束を解いてあとは自由に過ごす。
ゴールを決めて事に臨めば気持ちはやって、効率の神さまが仕事の現場に舞い降りてくる。
目論見通り、熱中の3時間を夢中で過ごして目鼻も立って晴れて刑期満了。
さあ、何をして過ごそうか。
これも優先順位と時間配分を上手に決めないとすべてが中途半端に終わってしまう。
読書、ジョギング、新聞の切り抜き、映画鑑賞、サウナ、そして祝杯。
いずれも捨てがたく、しかし、すべてをこなすには時間が足りない。
そんなことを考えていると、長男から電話がかかってきた。
読んだ本についての話であった。
金融関連の本を読み進め、次から次へと学びたいことが出現し、とても時間が足りない。
そんな話に付き合って意見を述べて半時間。
電話を終えて、わたしは更に深く気づくことになった。
人生も同じこと。
あれもこれもと思っているうち、不測の事態も起こり得て、下手すれば肝心なことをせぬままタイムアウトとなりかねない。
一体、何をしに地上にやってきたのだと悔いたところで後の祭り。
そうならぬようするには、したい、と強く思う順にこなすのが一番だろう。
それでわたしは着替えて往来に飛び出した。
日差しが強く駆けるほど燃えて、その燃焼感にほどよく馴染む五月の風に陶然としつつ淀川大橋を渡り堤防沿いをひた走った。
河川と隣り合う河川敷では幾つもの野球チームが練習に励んでいた。
武庫川で見かける野球少年らよりはるかに上手い。
スイングは鋭く、球威は抜群。
助走し投げるボールなど空の彼方へと吸い込まれ、見ているだけで小気味がいい。
反対側、堤防へと続く芝生の斜面では、女子らがダンスをし、その様子を女子友が撮影している。
活気に満ちエネルギーに溢れ、あちこちで生命が躍動し止まないその様は、フェデリコ・フェリーニの映画の一場面のようにも見えてくる。
そんななか走るから楽しくて爽快。
走ることが嬉しい、そんな時間を過ごせジョギングを最初に選んで正解だったと心から喜びを感じた。
そして、ひとつを終えれば、自ずと「次」が見えてくる。
心に迷いはまったくなかった。
時間は一本道、岐路はない。
次にわたしが選ぶアクティビティは「祝杯」以外にあり得なかった。
給油、仕事、息子と電話、ジョギング、そして祝杯。
文句のつけようのない休日となった。