今日は仕事をしない。
久しぶりの完全オフとなる。
快晴の武庫川を走った後、家内と出かけ食材調達に付き合うことになる。
京都にし田で肉を買い、夜は家族3人でベランダに集まって過ごすことになるだろう。
うちの母からの差し入れも届く。
御幸森にある櫻本商店のテールは新鮮で稀少。
売り出しは貼紙で告知されるのみでその場で買わないと手に入らない。
運が良ければ通りかかってわたしも買うが、たいていはうちの母親が目ざとく見つけて2本単位で送ってくれる。
スープにするには手間がかかる。
うちの家内からすればお手のもの。
嬉々として取り組むから美味しく仕上がる。
先日の毎日新聞に「食の歴史」という本の書評があった。
それによれば、食の歴史はフランスとアメリカの二大勢力によって描かれる、とのことである。
前者は食の目的を会話と美味の追求に置くから食材の調達段階から手間がかかり料理にも凝る。
これに対し後者は効率と手っ取り早い栄養摂取をその目的とする。
地産地消の食材で自然と触れ合い、人と交流を深めるフランス流の食事はいまや少数派となり、まるで工業製品のごとく量産された食品を個食するアメリカ流が主流となりつつある。
日本はと言えば前者に思えてまるで異なる。
化学調味料と食品添加物に席巻された日本の食は後者の先陣とも言えるものになり果てている。
昨日、ジムを終えての帰途、いつも長蛇の列をなすケンタッキーフライドチキンが空いていた。
買ったことなどなかったが連日の列を見れば気にはなる。
それで試しに買って帰った。
帰ると家内も鳥料理に取り組んでいた。
名店鳥よしで素材を仕入れ家内が手を加え何やらこしらえている最中だった。
息子はわたしが持ち帰ったケンタッキーをおいしいと言って食べていたが、家内はそれには手を出さない。
それで気づいた。
わたしがアメリカ流で家内がフランス流。
家に異なる流派が同居しているのだった。
しばらく繁忙が続いたが昨日で一段落したので今後家で過ごす時間が増えていく。
フランス流の食事を日常的に楽しめるのだから、家で「化学的処理を施された工業製品」を食べさせられる諸兄に比べ、わたしはとても恵まれていると言っていいだろう。