朝一番の便でテールが届いた。
このところ毎月のように母が気を利かせてくれる。
テールの他、各種肉もふんだんに入っている。
帰省している長男のためを思ってのことだろう。
家内が早速仕込みを始めた。
お盆だからわたしはこの日実家を訪ねるつもりだった。
昼から事務所に入って郵便物など確認し幾つかメールの返事を書き、ジムでたっぷり運動しまもなく夕刻。
川繁のうなぎを手土産に実家を訪れ両親としばらく過ごした。
渡哲也さんが亡くなったと報じられた日でもあった。
うちの父のひとつ上である。
大阪は引き続き猛烈に暑く、またコロナ感染のリスクも依然侮れない。
どことなく疲労感と寂しさの付き纏うお盆の夜となった。
親の近くに住んでも良かったのではと考えつつ帰途に着いた。
大阪を出て西宮に越したのは長男が小学校に上がる直前のことだった。
教育環境として天王寺でも悪くはなかったが、阪神間の方がより好ましいと判断したのだった。
その決定の背景には家内の希望だけではなく意外な要素の後押しがあった。
当時わたしは迷いの中にあった。
住むところだけでなく仕事の今後についても考えが揺れ動いていた。
坪谷さんというめちゃくちゃ当たる占いの先生がいる。
そう聞いて知ってはいたがまさか自分がその言葉を求めることになるとは思わなかった。
そして、思ってもみないような話を聞かされることになったのだった。
坪谷さんは終始笑顔でわたしを褒めまくった。
あなたは非常に能力が高いから何にも心配は要りません。
いまの資格業で十分成功しますよ。
その兆しはすでにあるでしょう?
一世を風靡するくらいの才能に恵まれているからどんどんいい顧問先が増えていきます。
いやあほんとうに高い能力です。
住むのは天王寺より阪神間の方がいいでしょう。
金運も仕事運もあるから芦屋がいいのでは。
人にそんな風に買い被られたのは初めてのことだった。
そこで告げられたわたしの設定が真実ならどれだけいいだろう。
ナイーブにも真に受けて暗示にかかったのだろう、直後は世界が違って見えた。
その証拠、家路を急ぐ際の記憶がやたら鮮明に残っている。
しかし、いくら舞い上がってもさすがに芦屋は気が引けた。
西宮がまだ分相応に思えて物件を探し、やはり運があったのかもしれない、いい所が決まりすぐいまの家との縁も生まれた。
41歳以降、花咲き乱れる。
坪谷さんはそう言ったが、多く見積っても今のところ花は2、3輪と言ったところだろうか。
その歳で何か思い当たるとすればこの日記を始めたことくらい。
日記を書くと人生が好転する。
わたしは漠然とそんな信念を抱くに至っているが、坪谷さんの話を信じるとすれば、日記によって好転したのではなくはじめからそういう星の巡りの元にあったということになる。
いずれにせよ、今があるのは自分の力ではなく、坪谷さん含めた他力の恩恵。
人生が順調に推移していくとの話で満足し、その後どうなるのか、坪谷さんには聞きそびれてしまった。
そう気づいたという点で、親のことを含め、人生の黄昏時についても考え始めねばならない時期に差し掛かっているということなのだろう。