商店街で家内と買い物をしていると激しく雨が降り出した。
魚屋のあと鶏肉屋、そして八百屋と渡り歩いて用事は済んだが、雨宿りがてら商店街を行ったり来たりし時間を潰した。
雨脚が弱まったのを見計らい、駐車場に向かった。
途中、駅の真上にあるマンションをみて家内が言った。
ここだと傘が要らない。
駅まで一分、いや一秒で着く。
そう言ってしばらく後、いや、一歩しかかからない、と家内は言い直した。
言い換えの発想がまるで小学生レベルなので思わずわたしは笑ってしまった。
家内がハンドルを握り、阪神高速を飛ばす。
行き先はジム。
この日も若き25歳の上級者女子がいて、いろいろと教えてくれた。
素人考えでするのとは大違い。
彼女の云う通りカラダを動かすと、いつも以上に筋肉がパンプアップした。
家内が写真を撮るのでわたしは調子にのって、膨らんだ筋肉を更に膨らませていい気になった。
魚屋の大将に勧められた小エビとアジとホタテが夕飯。
たこやの魚はほんとうに品がいい。
これほど美味しいと外食する必要が全くなくなる。
一口一口味わいながら、家内と昔のアルバムを繰っていった。
iPhoneなど登場する以前。
フィルムで撮った写真であるから、目にするのは園児以前の子らの姿であった。
やはり息子二人はやんちゃくれ。
何か悪さしてやろう。
幼少時の口元にさえそんな雰囲気が漂っているから、手を焼くのも当然だった。
そりゃ、親戚のオジサンも嫌がるだろう。
家内と二人、昔の話で盛り上がった。
息子らはことあるごとに言った。
目が合うと嫌な顔をされ、話しかけても無視される。
わたしからすれば赤の他人であり今は疎遠となって交流もないが、そのオジサンは権威主義的パーソナリティの典型と言えた。
上には媚びへつらい、下にはそっぽを向くというあれである。
うちの子らがバカ丸出しに見えたから、こいつら何も分かりゃしないと高を括って粗末に扱ったのだろう。
しかし、やんちゃであってもおそらくその者より知能で優り、どう思われているのか子らは状況を含めて正確に読み取った。
夕飯のメニューが魚から特製の鶏レバーに移った。
まるでフォアグラ。
最近、家内の得意メニューに加わった一品である。
レバーを絶賛しつつ、子を取り巻く暴力についてわたしたち夫婦は考察することになった。
当時、息子らが直面したのが積極的な暴力ではなく幸いであった。
しかし、軽くではあれ心を踏み躙られたようなものであるから、そういう意味で、その邪険な扱いは消極的な暴力とは言えるだろう。
世にはそんな目立たぬ暴力が少なからず存在しているに違いない。
存在を一顧だにしない冷たさ、というのだろうか。
手は出されなくとも結構な威力であるから、子どもならたじろぎ傷ついたって無理はない。
その証拠、子らはいまだに当時のディテールを相当な不快感とともにはっきりと記憶している。
あっかんべーと誰もが応酬できるはずもない。
真綿で首を締められるみたいに生きた心地しない状況に置かれている子らの叫びが、耳を澄ませば聞こえてきそうな気がする。
だから、せめてわたしたちは子に優しく温かく接しよう。
思えば33期の皆は誰しもうちの息子らに優しく温かい。
あんな経験があったればこそ、子らはそのありがたさを知る者になっている。
だからもちろん、子らは子どもたちにとても優しい。
つまり、すべての経験は有用なものに変わり得る、ということである。
彼らは貴重な学びを得たと言えるだろう。