疲れを翌週に持ち越さぬようマッサージを受けてから帰宅した。
家内は留守。
メールするとすでにジムを済ませ、スイカを探す旅に出ているとのことだった。
そう言えばここ数日で一気にスイカがスーパーから姿を消していた。
暑さは引き続くが、季節は着実に巡っているのだった。
わたしはひとりジムに向かった。
フリーウェイトスペースで数人の大学生らがトレーニングをしていた。
通り一遍の負荷と戯れながら彼らの様子を眺め、暇なので、うちの息子らがその大学生のグループに入った場合、どんな役回りになるのか想像を巡らせた。
長男の場合、圧倒的な話力とユーモアセンスによってたちまちにして輪の中心になることだろう。
ある種の熱源。
そこに人が集まり、大いに盛り上がり皆にとって実に楽しい場になるはずである。
二男の場合、彼が放つ無言の頼り甲斐のようなものが磁力となって、そこに一定の秩序が生まれるのではないだろうか。
言わば動力源のような役割。
何も言わずとも、皆が前向きになって彼の後に続き、トレーニングの充実の度が増すはずである。
学業でも運動でも上には上がいて、この点で二人は凡人。
それ自体で登り詰めることなどともてできやしないが、言語化し難い余技とも言える領分については属人的なものであるから余人を以て代えがたく、だからどこであろうと彼らはそれなりに所を得るに違いない。
帰宅すると前日同様、夕飯の支度が整っていた。
家内の英会話レッスンを聞きながらの晩酌となった。
信長が好きだというセルビア人講師に鳴かぬなら殺してしまえホトトギスといった話を持ち出し、続くレッスンではナイジェリア人講師からアフリカのテロリストやパイレーツ事情を聞き出して、横で聞いているだけで会話のラリーが面白くとてもためになった。
人見知りするわたしにはとてもできない芸当である。
やはり息子らはこの融通無碍を受け継いで、わたしよりはるかにマシな人間になる素地を得たと言えるのだろう。
わたしのおかげで彼らはそのような母に恵まれた。
感謝されてしかるべき話である。