いつかゆっくり日記を書こう。
そう思うだけで、ゆっくりできる時間が生じた試しはなく、おそらくこの先もないのだろう。
不意に生まれた空き時間だけが日記に充てる時間となり、だから日記を趣味にしていると時間を持て余すことがない。
昨日、「お客様と電車が接触」したとのことで、JR神戸線のダイヤが大幅に乱れた。
接触と言えば肩が触れる程度のニュアンスであるが、それで朝から昼過ぎまでダイヤが大幅に乱れるのであるから、言葉と状況がまったくマッチしていない。
接触現場である明石以西に行くにはJRは用を成さず、わたしは梅田から阪神電車を使うことにした。
新快速に比べ直通特急ははるかにのろい。
が、日記を書くのに格好で時間も忘れ嫌なことも忘れ、あっという間に時間が過ぎた。
このように、ゆっくりできる時間はどこにもないが、それでも不意に一塊りの時間がやってくる。
今日は、京都へと向かう車中が日記の時間。
持て余すような時間が意味を持ち、実のところ日記によって内面のデトックスもなされているようであるので、その副産物の有用を思えば、日記が日常において果たす役割は意外に大きく、毎日続くのにも納得がいく。