朝、家内が新しい服を出してくれた。
予期せぬ新品の服に、わたしの心は華やいだ。
出かけるときも気分がいい。
が、不思議なことに普段は服など欲しいと思うことがないのに新しい服が引き金となって、もっといい服がたくさん欲しいという物欲が湧いて出た。
で、先日の毎日新聞の書評欄のことを思い出した。
『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』という本について養老孟司さんが書いていた。
ドーパミンというのは期待物質で、思わぬ「報酬」に出合ったとき脳内に発生する。
快楽よりはるかに大きい感情を生み出すから、ドーパミンはやみつきになる。
だから、ドーパミン的スリルと一線を置くことができれば、それが成熟の証とも言え、長続きする幸福の第一歩となる。
「いまここにないもの」に関係するドーパミンによらずとも、「いまここにあるもの」に関係するオキシトシンやセロトニンやエンドルフィンによっても幸福感がもたらされる。
その書評を思い出しつつ、わたしは自身の内を眺めてみた。
ドーパミンが裏で糸を引き、物欲という欲望が活発になった。
ドーパミンの発生は一過性のものであるから、この気分の良さを長く味わうには、新しいものを買い続けなければならずキリがない。
そこで焦点を転換してみた。
いま持っているものに目を向け、その馴れ初めを思い出し愛着を喚起した。
朝の陽の光の温かみをこの身に感じ、秋たけなわの涼風を深く吸い込み、自身のカラダの快活をゆっくり静かに点検するみたいに感じ取っていった。
心は喜びに満たされ、ドーパミンと無縁であっても幸福を実感できた。
自分がいま何に突き動かされているのか。
違った視点で眺めることができたのであるから、たまに新聞の書評も役に立つ。
世には、ドーパミンの手の平の上、地に足つかず遊び歩いてもっともっとと買物が生き甲斐といった人も存在する。
自身の心の内だけでなく誰か他の人についても、「この人はどの種の脳内物質をよすがとしているのか」を洞察してみることで、人間理解がより一層深まるのではないだろうか。