場所は上本町。
待ち合わせ時刻より早めに着いた。
暖を取るため近鉄百貨店に入り、本屋でも覗こうとエスカレーターに突っ立って上へ上へと運ばれた。
5階を過ぎたあたり。
下りエスカレーターの側から、おい、という声が聞こえた。
下へと移動する声の主を見ると家内だった。
双方とも時間より早く着いていたのだった。
店の予約は午後6時半。
時間まで隣接する都ホテルで過ごすことにした。
1階の椅子に隣り合って腰掛け、クリスマスツリーをぼんやり眺めた。
都ホテルといえばわたしたちにとってゆかりの地。
ここで結婚したのだからそう言っていいだろう。
ついでに言えば、今度の試験の際にはここに泊まるし、二男が二十歳になればその成人式はここで催される。
エリアを少し広げれば、わたしも子らもここから目と鼻の先にあるバルナバ病院で生まれ、子らは能開センターの上本町校に通ったから中学受験という修羅場を上本町で過ごしたも同然と言えた。
このように、都ホテルにはじまって上本町という地はわたしたちの歴史を刻む特別な場所なのだった。
だから今度事務所が移転するとしたらこの界隈をおいて他にないだろう。
まもなく時間。
寒風吹く薄闇のなかを歩いて5分ほどで味菜に到着した。
おすすめどころを味わって、どれも美味しく家内は言った。
今年一年でここがいちばん美味しかった。
息子の夜食にする名物ヒレかつサンド五千円也を携えて帰途についた。
上本町で電車に乗った時刻がちょうど午後9時50分。
その昔、二男が塾を終えて乗り込む電車と同じであった。
当時の二男の胸の内を想像しながら家内と思い出を語り、西宮へと運ばれた。
家に着くと二男が一足はやく帰宅していた。
家内がキッチンへと駆け上がり、作り置きの焼肉を食べようとする二男を制して、ヒレかつサンドを差し出した。
そして二男は歓喜した。
奇跡の美味しさに彼は思わず声をあげた。
「えぐい」。
やばい、と同様。
ネガティブだったはずの意味が極限に置かれてグルリと反転し、称賛の意へと変貌する。
そんなまどろっこしいプロセスを経るからこそ、単に「うまい」と言うより言葉に「うまみ」がこもる。
かつての小学生がいまや高校生。
いっぱしの男子のなかに幼い頃の面影を見ながら、夫婦で目を細め、わたしたちも一切れ味わい「えぐい」のうねりの中に呑み込まれていった。
この夜またひとつ、上本町由来の伝説が我が家の歴史に刻まれることになった。