33期はみな賢く、その子らもみな賢い。
年賀状をやりとりし改めてそう感じた。
わたしが阪神受験研究会に入ったのは小6になる春。
かれこれ40年近く前のことである。
最初の公開テストは惨憺たる結果だった。
700名ほどの受験者がいて、わたしは700番台だった。
だから当然、最劣等クラスである1組からのスタートとなった。
最上位のクラスは5組。
同じ小学生でありながら、別世界の少年たちに見えた。
同じ玉造の駅で乗り降りし、駅前の同じたこ焼きを頬張っているにも関わらず、雲の上の存在。
塾に入ってはじめてわたしは隔絶感というものを実感したのだった。
そして一年後、大阪星光に入ったとき、まわりは5組のメンバーだらけだった。
小6当初の印象はそのままだったから、「見上げる」感じのままわたしは中高を過ごすことになった。
当時の感覚を、年賀状をめくりながら懐かしく思い出した。
阪神受験研究会に入っていなければ、その誰とも会うことも話すこともなかっただろう。
コロナの影響がありしばらく会わず連絡も途絶えていた面々の近況が年賀状によって伝えられる。
案の定、33期の子どもたちは現役で国公立難関の医学部に次々と合格し、そんな類いの吉報は他のどこかで耳にすることなどないから、やはりここはいつまで経っても別世界なのだった。
33期だけでなく、そのご子息ご息女も続々と名医になっていく。
おかげで引き続き、カラダのどこを悪くしても気軽に相談できる。
つまり、阪神受験研究会が思わぬご利益を時間差でもたらしてくれているも同然。
700番台だった当初、夢にも思わなかったことである。