KORANIKATARU

子らに語る時々日記

22年連れ添ってひとつの達成を見る

油断するとすべきことが頭の中でとっ散らかっていく。

そのうち小さな断片がくんずほぐれつまるで核融合、一気に嵩が増し発火する。


鎮火するにはタスクノートを活用する他ない。

逐一書き出していけば一望のもと交通整理がなされて気が静まる。


あとは、やるだけ。


このように精神に障る夾雑物を外部に押し出すと希望だけが頭に残る。

これで健全に生きるためのバランスが保たれる。


わたしの場合、希望はもっぱら食の形で現れる。

なるほど、摂取と排出が生の循環の基本。


頭のなかは目に見えない。

この人は一体何を考えているのだろう。

探ったところで窺い知れないが、案外、単純。


わたしの中の実相をスクリーンに映写すれば、ラーメンにカレー、カツ丼に寿司焼肉が、魂の奥底に至るまで飛び交っていることだろう。


だからやむなく、難所を切り抜けるたび食欲が活性化し、ちょっとばかり運動したところで痩身とは無縁ということになる。


とはいえ、これがわたし。

食を外に追いやるなどわたしにとって命の光が失われるも同然。

わたしはわたしであることをやめることはできない。

 

が、家内がこれを受け入れない。


大食漢であることにノンと言われ続けて21年。

つまり連れ添った年数と同じ。

家内にとりさぞや労苦を伴った年月であっただろうが暖簾に腕押し。


過去が揺るぎなくわたし自身を実証している。

好循環が萎まぬ限りこの先もわたしはこのままであり、その方が幸い。


まもなく22周年。

「ふーふー」と読む通り、22年で夫婦もひとつの達成を見る。


いよいよ家内もわたしの本質を受け入れる。

そう期待したい。

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2021年1月21日 息子の朝(鶏ごぼうご飯とマナガツオ)と携行食(清左衛門のおにぎり)

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2021年1月21日 昼 岸辺 そば辰(たぬき蕎麦とカツ丼)

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2021年1月21日 夕飯(マナガツオ,手羽先,納豆,こみつといちご)

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昔の写真 2006年1月10日 えべっさんの帰途どこかの路上にて