空が白み始める時刻。
門の開く音がしたので、窓外に目をやった。
雨上がりのグラウンドを二男が走っていた。
静か平穏な朝。
走る息子に目をやって、いついつまでもこのようにと願うような気持ちになった。
年が改まりはや一ヶ月が過ぎようとしている。
家族みな無事であるから、お陰様。
しかし今年に限ってみても、この先、未知の三百有余日が押し寄せてくる。
良き日々であることを願うが、未知は未知。
何が起こるか分からない。
といって、心配しはじめてもキリがなく不安の蓋が開いてしまうと日常生活もままならない。
生きていれば当たりくじの方が多い。
そう呑気に構えて果報は寝て待つ。
心の持ち方としてはそれくらいでちょうどいいのだろう。
息子に目をやり、この先もその身に幸多いことを願い、そうであるならわたしなどどうなっても構わない。
心からそう思った。
不器用ながらも夫婦して愛情注ぎ、不出来ではあってもなんとか無事ここまで育った。
そしてこんな風に順繰り。
息子は息子で窓外に別の誰かの姿を見るのだろう。
視線の向こうにそんな先の絵まで思い描いて、ふと自身の背後の視線に思い至った。
鈍感にも意識してはなかったが、こんなわたしであっても幸多かれと願ってくれた人がいるのだった。
まさに子を持って知る親のありがたみというやつである。