東大文一の発表をもって二男の入試は幕を閉じた。
兄に続いて力及ばず。
東大は甘くはなかった。
英数は強かったが、数学は水物。
加えて、未完成のまま迎えた社会が他大学と異なり二科目も課される。
そのボリュームを前に学力不足は否めず、渡り合うにはもっと能力が必要でもっと勉強が必要だった。
切り札となるはずのパンチは空を切り、ガードの甘い場所に手痛いパンチを打ち込まれた。
まさに、負けに不思議の負けなし、という結末であった。
よって、捲土重来。
気合を入れ直して、また来年頑張ろう。
と、なることはなく、うちはかねてから現役志向。
わたし自身が東大とは全く無縁。
早稲田を出て、そのことで理不尽な思いをしたり惨めであったり悔しかったりということなど一切なかった。
振り返って幸せで、当の早稲田で生きる基本が一揃い備わった。
だから東大が駄目なら息子たちも早稲田でいい。
もし本人が慶應を選ぶなら似たようなものだからそれもよし。
ずっと心の内でそう思っていた。
ところがこの早慶。
政府による地方振興策の一環で首都圏私学の入学定員の余剰がなくなったから以前に増して難化した。
長男のときに定員制限が最もきつくなり、二男のとき早稲田政経が募集定員を大幅に削減したから、椅子取りゲームは熾烈を極めることになった。
そもそも向こうに回す首都圏勢のレベルは高く、いわばこちら関西勢は一芸にだけ少し秀でた荒削りな南米のサッカー選手みたいなものと言えた。
関西の中学入試では、算数だけままできれば突破でき、国語や社会といった文系科目についてはごまめレベルで十分間に合う。
ところが、東京圏では算盤だけでは勝負ができず、読めて書けねば話にならない。
学力の背景に規律と勤勉が必要で、首都圏受験は走力とタフネスが雌雄を決する欧州サッカーのピッチに踏み込むのも同然。
そんな土壌を端的に象徴し、早慶の問題はやたら分量が多くて、激しく難しい。
猛烈に読めて書けるのが当然といった首都圏勢を相手に一頭地抜くことは簡単な話ではなかった。
早慶上位学部を受け全勝など至難。
なんとか持ちこたえ複数の合格を得られただけでも十分な戦果と言えた。
早大正門まで歩いて5分。
幸い好立地の場所に部屋を確保できた。
そこに住みどっぷり早稲田につかって学生時代を過ごすことになる。
苛酷な大学入試が良きスパイスとなった。
苦味と辛味を知ったからこそ、この先の日々の味わいが大いに増すに違いない。
家内についてはいよいよ子らと離れ離れ。
ちょっとした遠距離恋愛のようなものとなるが、なんのその。
我が子二人に会うため、山を越え谷を越え、足繁く上京することになるはずである。