二男の受験が終わって友人らの寝泊まりが解禁となった。
今夜は久々に長男の親友、OGIの両脇を固めた阪医と京医のコンビがやってくる。
だからわたしは帰途大量の寿司を買って帰ることになる。
つくづく思う。
合格と不合格で天国と地獄。
毒をあおった訳でもないのに不合格を突き付けられれば血の気が失せフラフラになる。
合格が得られれば、その正反対。
何かクスリでも摂取したみたいに、フワフワとした気持ちになって天まで昇る。
人という生き物が、非物質に過ぎないはずの言葉にどれほど心身を左右される存在なのか、受験を通じ思い知った。
突き詰めれば、わたしたちは言葉で構築された枠組みのなかにいて、その絶対性のもと生かされている。
そう謙虚に考えざるを得ない。
言葉の世界に従属しているのだから、何かを信じるとか信じないといったところで、所詮は言葉という世界の手の平のうえで転がされているようなものと言える。
その言葉の枠組を物語と呼ぶとすれば、わたしたちはその物語の内にあって外を知らず、物語のコードに従って振る舞うしかない。
つまり、何を言おうが、わたしたちは物語への帰依、すなわち信心から逃れようがないということになる。
自身、何だかよくわからないまま神仏に手を合わせ頭を下げてきたが、それがまさに人の本質だと言えるだろう。
息子が二人とも現役で合格を獲ってきてくれた。
親孝行なことである。
決めるときには決める。
そんな決定力が息子らに備わっているのだとしたら頼もしく、この先の足取りもきっと大丈夫だと心強く思える。
これまでの出会いにこの先の出会いが加わって、兄の交流と弟の交流がクロスする。
昨日の日記で誰と出会うかで運気が決まると書いた。
そういう意味で、学校自体が運気の集合体。
運気という非物質を巡る闘争。
受験がさながら死闘となるのも頷ける。