玄関を出たとき、寒いと感じた。
薄着を悔いたが、どのみち電車に運ばれ事務所に入るだけ。
いっときの辛抱だと思ってそのまま駅に向かった。
土曜の早朝、あたりはまだ暗かったが、結構な数の人がホームで始発電車を待っていた。
多くが春の装い。
寒さに不釣合いな格好をしているように見えた。
この季節、たまに寒さがぶり返すから服の選択が難しい。
いつもの定位置へと向け歩を進めていると、アナウンスが流れた。
線路内で発煙。
確認作業のため電車の到着に遅れが生じる、とのことだった。
その後、同じアナウンスが何度も繰り返された。
が、何分程度の遅れになるのか。
それについての情報は一切なかった。
始発の時間は5時25分。
すでにその時刻に至っていたが、線路の向こうを凝視しても電車らしきものが姿を現す気配は一切なかった。
あたりは暗く寒さは厳しく、バスはまだ動かずローターリーにタクシーの姿はなかった。
少し待てば電車がやってくる。
そうとも思うが、待機するには軽装に過ぎた。
わたしはさっさと家に引き返すことにした。
しかし多くの人はじっとそこに佇み、辛抱強く始発の到着を待つようだった。
用事が重要であれば、他の交通手段がない以上、「待つ」という状況判断をせざるを得ない。
黙して待つ人の間をすり抜けながら、様々な事情を思った。
家まで歩いて5分。
溜まった新聞にでも目を通し時間を潰すことにした。
不意の空き時間。
こういったサイズの時間に新聞がとてもよく合致した。
運行情報をチラチラと横目にして、午前6時、運転見合わせの表示がようやく運行再開に変わった。
始発電車はおそらく近くまで来ていたはずで、ほどなくして駅に入るだろう、そう見通して腰を上げた。
空は白みはじめ、冷気は幾分やわらぎつつあった。
ホームに出ると意外にもそこに人影はなかった。
始発を待っていた全員がすでに退散していたのだった。
10分待って諦める人がいて、15分待って諦める人がいた。
だんだん待つ数が少数派となって、一斉に皆が引き上げた。
そんな様子を想像しつつ、無人のホームを眺めて思った。
今朝の寒さを思えば、この遅延はかなりの厄災と言ってもよかった。
いまはただ静か平穏に見える土曜朝のホームであるが、半時でも時間の奥行きを持たせて見れば、無言の煩悶にまみれているも同然だった。
6時20分になって、5時25分発の始発がホームに入ってきた。
電車の前照灯が朝の光に霞んで、間が抜けて見えた。
日常が途絶えて約1時間。
目的地へと運ぶべき当初の乗客はもはやここにはおらず、あちこちへと波及したはずの悪影響は依然途絶えてはないのだろうと思った。