事務所移転の日が迫り、この日の午後、梅田の家電量販店を訪れた。
ついでに買い物しようと目論んで家内もついてきた。
そしてわたしは改めて家内のパワーを思い知ることになるのだった。
空調のコーナーで会計の段になった。
提示された額は327,300円。
わたし一人ならそのまま支払う。
が、ここで家内の「待った」が入った。
端数を負けてもらうとしても300円か7,300円。
それくらいの要求だと思ったところ、自信満々に家内が述べた金額はきっちり30万円。
「30万円なら買います。そうじゃないなら考え直しますね」
ちょっと中で相談してきますと担当者は席を外した。
数分後、メモ書きにて提示された額は30万円。
すんなり家内の言い値が通ったのだった。
続いて、照明のコーナー。
39,700円の会計。
ここで家内の口から出たのが35,000円だったから、思わずわたしは笑ってしまった。
少額の商品でそんな値引きはあり得ない。
が、念ずれば通ず。
結局、これまたポイントもついて37,000円になったのだから大戦果と言えた。
家電より先、家内が必需とわたしは悟った。
帰途、家内を伴いコウハクに寄った。
ワインを飲みつつ子らの話をする家内を横に、わたしは先日耳にした話を思い出していた。
走ることが趣味という事業主がしみじみと言った。
マラソンをすると思考が無になる。
だからやめられない。
そしてマラソンを通じ心底痛感した。
最後の最後、考えないやつが勝つ。
脳は多大なエネルギーを消耗する。
枯渇寸前という消耗戦の極み、考えたやつは足が止まって自滅する。
そういう話だった。
マラソンではないけれど、家内の強みに相通じるものがあるとわたしは感じた。
ここ一番で考えない凄味というのだろうか。
家内が育てた息子二人も同様。
最後には「思考を無にしての集中力」がずば抜けているように思う。
うじうじ考えてばかりのわたしなど敗北から逃れられない宿命にあるも同然と言えた。
その昔、祖母によく夜店に連れてもらった。
ものをねだると祖母は決まって店の人に言うのだった。
兄ちゃん、負けてえな。
それが恥ずかしくてならなかった。
下町中の下町の少年なのに羞恥を覚え、心優しい祖母のことを恥ずかしいと思った。
これこそがまさに下手の考え。
相手は何も思っておらず、しかし、あれこれ考えわたしは子どものくせに自滅していたのだった。
そうだそうだ、おっちゃん負けて。
そんな加勢をしてこそ下町の少年と言えるだろう。
若気の見栄や知ったかぶりはとっくに卒業したが、下手の考えからはいまだ脱しきれていない。
そんなわたしの未成熟を家内が見事な実演によって指し示してくれたようなものだった。
スパークリングに白赤白と飲んで締めはスパークリング。
さっとかっこよく飲み干し、掃除屋さんが来るからと言って家内は颯爽と帰って行った。
残りものをひとり食べ終え、わたしは事務所に戻った。