東京で息子が受験する日々、これは家内にとって子育てを終える卒業旅行のようなものだった。
東大の試験日へと進む日程のなか、早慶の試験は飛び石的に断続した。
東京と大阪を行ったり来たりするより、ひとつ所に腰を据えるのが得策、そう判断した。
なによりうちは現役志向。
すべての一発勝負に万全を期す。
そんな思いで本番に備えた。
不測の事態に備えるうえで家内の帯同もまた合理的な判断であった。
万一の場合の突破力については折り紙付き。
それで不安要素は払拭された。
長男は西大和生。
やるときはやる。
滞在中、先生からの電話もあってしっかり勉強に勤しんだ。
邪魔せぬよう家内は食事の調達のほかは東京各地のヨガスタジオに通って、夜は息子とあれこれ外食を楽しんだ。
そして二年後。
二男の受験の際も同様となった。
長男と異なるのは、進学の大きな目的のひとつが部活。
東大には星光の64期の先輩がいて、兄貴の西大和の友だちもいた。
一緒に一部リーグ復活を目指す。
それが志望の動機であった。
だから、だろう。
滞在中、勉強するよりも、赤坂御用地をコースに選んでランニングに励み、サッカーボールを練習用具として公園を走り回った。
体力と気力は十二分にあったが、結局、学力がおよばず。
東大に跳ね返された。
残るは早慶。
慶應は部員がひとり残らず内部生で占められており、その一方、早稲田には星光64期の先輩がいてその他夕陽丘や天理といった関西勢の顔もあった。
東京滞在中、星光の教師から電話がかかってくることなどあるはずもなかったが、生徒同士は常時オンラインでつながっているも同然だった。
二男の携帯の待ち受け画面は、星光の仲間と連れ立つ写真。
これが星光の唯一で最大のいいところを物語っている。
結局、互い引き寄せられるように65期一人と66期二人、計三人の国体大阪代表が早稲田に加わり部活で力を合わせることになった。
振り返って思うのは、何事も必然。
兄は慶應で弟は早稲田。
それが実にしっくりとくる最適解であると思えるから、悔いることなど微塵もない。
二男の付き添いの際、家内は食事の調達に精を出し、そのほかは自転車で東京中を駆け回り、料理教室に通うなどして楽しんだ。
複数受験するからこその余裕と言えたが、蓋を開ければ、楽勝といった局面など一つもなかったので、まさに知らぬが仏という話であった。
東京での真剣勝負の真っ只中、ともに過ごした日々を経て、子らはそれぞれ巣立っていった。
不測の事態に備えてというよりも、絶対に不可欠なプロセスであったのだと、いまはそう思える。
誰が自分を支えてくれたのか。
息子らの胸にしっかりと刻印されたはずで、将来、彼らはこの日々のことを何度も思い返すことだろう。