パソコンデータを整理していて古い音声データと出くわした。
園児の頃だろうか。
二男と家内が会話している。
当時はただただ小さくかわいいいだけであったから、その言葉がどの程度の深みから発せられているのか考えもしなかった。
幼く辿々しい口調であっても、しかしよくよく聞けば三つ子の魂百まで。
話す内容自体はいっぱしのものであり、驚くほど二男という人間の在り様を映し出していた。
曰く、誰々くんは人の力を頼みにする弱い人間である、だから告げ口ばかりする、一度ブチギレた、暴力では負けない。
園児が言う話である。
だから若き家内は話の内実には頓着せずただ笑って応じるだけだった。
が、それらフレーズはいまの二男が胸に秘めて思うような言葉であり、つまりそのまま。
高校時代、周囲を気圧すような雰囲気があって、教師らも威圧感を覚えたであろうが、その本質は幼少のころ既に出現していたのだった。
で、家内は二男の昔の声を聞いて恋しくなってその場で息子に電話を掛けた。
時刻は夜の9時前。
部活の練習が終わったばかり。
息子は後片付けを終え東伏見の駅に向かうところだった。
疲れているのだろう。
素っ気ない。
ちゃんと食べているのかとの家内の質問に、食事は自炊している、しっかり食べていると息子は答え、じゃあと言って電話を切った。
わずか二言、三言。
家内にとってはそれで十分だった。
自炊するなんてさすがわたしの子と言って家内の顔には喜色が浮かんでいたが、すぐ二男からメッセージが届いて家内の喜色は更にその色合いを増した。
自らの素っ気なさに思い当たったのだろう。
二男からのメッセージには、金曜の夜ならゆっくり話ができると記されていた。
そしてしばらく後。
今度は長男からラグビーの練習風景を映した動画が家内に宛てて送られてきた。
家内は大いに喜んでタブレットの画面を注視した。
ちなみに長男の昔の音声は子どもじみた自作の歌や面白可笑しいたわ言ばかり。
彼の本質もまた幼少のころ既に姿を現していたのだった。