食べる端から家内がバゲットを切り分けハムとチーズを挟んでくれる。
向かい合って食べ、飲み物はゲロルシュタイナー。
わたしがお酒を飲むから家内も一緒に飲んでいただけであり、わたしが炭酸水を飲むなら家内もそれで構わないのだった。
平穏な夕飯を終え、スカパーの映画チャンネルで流れていた『キス・オブ・ドラゴン』のアクションシーンを気ままに眺め、これはこれで実にいい夜となった。
夜、時間が深まる。
しらふでないとその深まりを感知できない。
そこに身を置くほうが豊か。
早くからそう知っていたが、なぜなのだろう。
飲み会が続けば、ホップ・ステップ・ジャンプといった具合、感覚が一足飛びに変化する。
愛する飲み会によって、お酒が暮らしのリズムを形作る主旋律となり、一日の締め括りに欠かせぬ大トリ、つまり、不動の地位へと押し上げられていった。
深まる時間から引き離し刹那の享受へといざなう訳であるから、お酒は一種の悪友とも言えるだろう。
幸か不幸か、いま飲み会はない。
だから今後は毎夜しらふで過ごし、原初の静穏と広大に真正面から向き合うことになる。
そこが「意識」の古巣。
そう思えば、郷愁のようなものが込み上がる。